試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

読まなくていいことがこの世界には沢山ある

12月頃の日記を読み返した。
とても前向きに生きようとしていて驚いた。
12月以降から私の生活はどんどん荒れたのだけれど。何がきっかけだったんだろう。
1〜3月は本当に荒れていた。荒んでいた。
4月に入り、私は完全に無気力と化した。
冬季うつからの春鬱。
来月私は誕生日を迎える。そのせいもある。
私は誕生日が大嫌いだ。
生まれた日など誰が好むというのだろうというくらい嫌いだ。
そんな訳で私の中には焦燥感と希死念慮とそれと噛み合わなそうな無気力が同居している。

今日はツイートをしていたら夏の感情がフラッシュバックして凄い言葉を羅列してしまったので消した。
比較的まともなものを残しておいたつもり。
私にとってまだこの世界は賽の河原だ。
必死に積み上げたものを、他者が何食わぬ顔で蹴り飛ばしてしまう。
それも1年や2年だけじゃなく、もっとたくさんの時間をかけて積み上げてきた石が「お前のやってること無駄だよ」って蹴られてしまう。
その人の価値観や主観の入り混じった「心配」という言葉を借りた暴力で私はどんどん生命力を奪われた。
ただでさえショックな出来事があって健忘が起こっている時に重ねてくることなかったじゃないか。
おかげで私は後退したよ。またやり直し。
積み直し。この歳まで来て。積み直しだってさ。嫌になっちゃうね。本当に嫌になるよ。

今私は自主入院も視野に入れている。
それだけもう苦しい。自己管理の限界を感じている。
投薬管理ができなくなった。金銭管理も怪しい。
このままだと私は私を傷めつけるだけ傷めつけて殺してしまいそうだから。
入院経験はできればしたくないのだけれど、このままだと致し方ないかなという思いがある。
何が問題って自傷癖の再発と、ロープを眺めに行っているのがまずい。
まずいとわかっているだけセーフなのだけれど行動力がある日にやらかしそうだなぁとは思う。
とても冷静に思うから怖いのだ。
むしろ今まで入院して来ていないのが奇跡なのだけれど。あ、癲癇では入院したね。

家族の前で気を遣うことにもだいぶ疲れ始めている。あのパワーと向き合えない。
健常パワーというのは凄い。本当に恐ろしいまでに殴りかかってくる。
ああ、ああ…と対応しているうちにこちらのHPが赤くなっている。
食事くらいストレスなく食べたいなぁ。
けれど一人で居続けたらメンタルに本気で悪い気がするので対人療法だと思って参加している。きっついです。

そんな素直なことも書いておこう。