試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

通院メモ

通院を始めて11年目にして主治医が初めて私の涙ボクロの存在に気づいて感心していました。
僕は本当に人の顔を見ていないんだなぁとしみじみ言っておりました。
そうでしょうね。これに気づかないとは本当に見てないのでしょうね。

さて、現状維持を言い渡されています。
今は無理する時ではない。今のままでいいと自分を許して自己肯定感を上げてあげる時期だよと言われました。
人生を楽しく生きようと意識して、と何度も言われました。私にはその感覚がいまいちピンときていないのがバレているんでしょうね。
人生を楽しく生きる…楽しく?生きる???
私の頭の中はそんな感じなので治療の先は長いですね。
未来の話もしました。とりあえず終わりの見える物事をやっている方がいいね、ということでイベントに関わっていることに関してとても褒めてもらえました。
終わりがあり、達成感があるものはとてもいいことだと。
今の私にバイトやパートなどの終わりの見えない物事は刺激が強すぎるそうです。なのでまだそこまで行けません。
とりあえず今年もイベントを頑張ります。二つ目もすでに動き出したし。

主治医は今日も処方箋ミスをやらかしました。
主治医は話が盛り上がっていると処方箋ミスをする癖があります。
薬局で気づいてもらえたのでとっても有り難かったです。
しかしその薬局も今回自立支援の自己負担上限額を超えたのですが普通にお金を徴収されそうになり、あわあわしました。
調剤事務の人と私と薬剤師さんとあわあわしました。
今日はなんだか気の抜けない1日でした。



私の好きな乙女椿をパチリとしてみたり。


朽ちて落ちた椿をくるくる囲んで一枚に収めてみたり。


ももう終わりだねと桜吹雪の中でブランコを漕いだりしました。

今日は比較的穏やかだったと思います。
やっと冷えピタを貼らずに眠れる夜になりました。微熱が落ち着いたよ。
蕁麻疹も落ち着きを見せてきました。
あとは胃だけ。胃もだいぶ元気になってきているよ。まだ薬は欠かせないけど。
体力欲しいね。その前に気力が欲しいな。そういう病気なのだけれどね。欲しいなぁ。

追記

とさっきまでのブログを自分で読み返してモヤモヤする。
他人に私の気持ちがわかってたまるかとモヤモヤしている。多分これは怒りだ。
人間はいろんな顔がある。だから気持ち悪い。
私の価値観の中では理解できないようなことを当たり前のような顔で平気でやってのける。
それは人としてどうなの?っていうことすらも。
私は私を傷つけてきた人間に対する怒りの消化若しくは昇華を終えていない。
なにが友人だ、なにが仲間だ、なにが恋人だって名前のついた関係性に唾を吐きたくなる気分の時だってある。
所詮男と女は棒と穴です終わり。そんな感じ。

つくづく人って面倒臭い。
あなたの為よなんて顔で土足で踏み入ってくるマナー違反さとさ。おい、車だって車間距離空けて走るだろうが、お前人間にも距離感ってもんがあるんだよ、と思う。
私のなにを見てなにを聞いて知った気になるんだか知らないけどあなたはこういう人って定義をつけて心配してきたり好いてくれたり何でもありなんだなってびっくりする。

私のなにを知っている?
私がお前に何か伝えているとでも思っているのか?

伝えたいと思う人はいる。
それ以外の話。

文字の世界は擬態が楽だよとってもね。
誰にでも何にでもなれてしまうから素晴らしい世界でもあるしくだらない世界だとも思う。
キャラクターを作り上げることはとても簡単だ。
オンライン以外の私なんて誰も知ることがない。
通話だってそうだ。切った後の私がどんなであろうが伝わりようがない。
絶対的な距離感というのは夢を作り上げる。

私のインナーチャイルドはいつも人を試そうとするからよくない。
この子を宥めるだけで私は精一杯だ。
なにを信じようと自由だよ、だってここはネットの世界だから。

正直、昨年の夏で人には本当に疲れ切った。
勝手に生きていってくれ。
各々勝手に生きて死ね。そう思っている自分もいる。

途中から何が言いたいのかわからなくなってしまった

「強がり」決しては「強く」はない。
寧ろビビリだから、強がっている。
毎日何度も自分で言い聞かせる「大丈夫」。
毎日言い聞かせられた「貴女はあのおばあちゃんの孫で私の娘だから強い」。
そう、確かに私の祖母は強かった。母もまたサバイバーであり、逞しく生き残るしかなかった人だ。確かにこの2人はとても強い。
けれど私は同じ人間ではないので、その言葉を暗示のように自分の中で繰り返した。
あの2人に恥じぬように居なければと。

無視をされても気にしないふりをした。
なら別の子に話しかけてその中にいようとした。
本当は辛かったし痛かったし苦しかった。
悪口を大声で言われても何が?という顔をした。
本当は全部胸の中に刺さっていた。
「土下座しろ、謝れ」とありもしない事で繰り返させられた土下座には真顔だった。
形式的に膝を折って額を床に擦り付けた。そうしなければ終わらなかった。
悔しかった。全員に殴りかかりたくて仕方なかった。お前達は何様なんだと心底腹が立った。
私は「強い」から「弱いやつらの相手はしない」そう言い聞かせて生きてきた。
強がって、強がって、本当の感情が何だかわからなくなってしまった。
帰ってからは今日も相変わらずだったよ、と淡々と答えて、あとは心配をかけさせまいといつものように振る舞った。

だから咄嗟に口から出る言葉はいつも「大丈夫」。
私なら何にでも対応できるから気にしないでねオッケー!って気楽に言ってしまうけど何一つ大丈夫じゃなかったりして、どう大丈夫にしようか落とし所を必死に考えたりしている。
明らかに表情に出ているほど弱っている時に、相手から何かを聞かれても答えられない。
明らかに原因がわかっていても「いつものことだから気にしないで」って笑う。
いつものことってもう何年やってんだ。
人に頼るということがどういうことなのかよくわからない。
これを身につけなければ社会はとても生きにくい場所なのに今でもどうしたら良いのかわからない。
素直に言って良いのだろうか。けれど迷惑をかけないだろうか。私自身で何とか出来ないだろうか。頭の中でぐるぐるとしてしまう。

自分から言わなきゃ、相手には伝わらないんだ。
年々そう思うことが増えた。自分からきちんと伝えることの大切さ。
それが例え相手の望む100点満点の答え出なかったとしても、まず伝えてみること。
自己完結で全てをやってきた人間にとって、このコミュニケーションが一番難しい。
自己完結ほど身勝手で我儘なものも無いのだけれど。

もう少し心を柔らかくして、もう少し人に心が開けるようになりたい。

切り落とされていく髪にいつもさようならと口にする

髪を切りました。
ショートがベリーショートになりました。
襟足がスッキリして気持ち良いです。
しかし美容室は疲れますね。全身が強張ってしまって今は肩こりが尋常じゃないです。

しかしイベント後から体調を崩しています。
過労だと思うのですが、普通にご飯を食べると消化不良を起こして吐いてしまうので少量のご飯と胃薬で対応しています。
冬季うつ明けからの野外一日はやっぱりそれなりに負担がかかるのですね。
それでも当日はほぼやることもなく(SNSは更新し続けていましたが)、本当に自由にふらふらとしているだけでした。
他のメンバーが6時集合しているのを私は8時にしてもらったり。
それでも私の体はまだこれだけダメージを受けるのね、と勉強になりました。
イベント明けからなんだかんだ一日何もしないという日を作ってないのもよくないのだと思います。
明日辺りはゆっくりしようと思います。
私をよく知る人にも「今のあなたは今までのあなた以上に体力がないんだから特にイベントなどは考えないといけないよ」と注意されました。
本当にそうです。気をつけなければ。

イベントが明けてからは、夕方になるにつれて体調ががっつり悪くなります。
それまでは何かしら出来るのですが、その何かしらをやるせいなのか力が全てなくなって、夕飯を食べるのも精一杯な現状です。
体力づくりをしなければなりません。
ここまで弱っていると思っていなかったんだ、正直な話。
メンタルが弱っているのは自覚していたけど体もここまでボロボロだったんだねぇ。
私は体への気遣いが足りなさすぎる。
ちゃんと意識してあげないといけませんね。
「なんとかなるでしょう」はやめることにします。きちんと計算をして動きます。

とりあえず早く胃の不調よ、治ってくれ。
結構ストレスだぞ。自分が悪いのだけどね。

医師から「もう頑張るな」と言われてから、なんだか心が非常に楽になりました。
ああ、いいんだね、焦らなくていいんだねってやっと自分に言い聞かせられそうです。
無意識に頑張ってしまう癖がついているのも治さなければなりませんね。
きちんと今出来ることと出来ないことの判別ができるようになるのが今の課題です。

そうそう。上記のイベントで私は中心メンバーとして立ち上げから会議などに出席してイベントを開催したのですが、謝礼をいただきました。
今年は満足に体も動かず、自分の思う形の広報が出来なくて悔しかったのですが、有難く頂くことにします。
私、お金稼いだよ。自分のやったことが仕事になったよ。それがとても嬉しかったです。

今日の病院メモ

どうにも前回の診療のモヤモヤが激しいので医師と一発やりあってくる。言い方を間違えました。話し合ってきます。伝えたいことは全部紙に書きました。
あと頓服は合いませんでしたので変更してもらいます。睡眠導入剤の変更も願い出ます。

「もう頑張らなくて良いよ」って医師に言われて涙腺崩壊した。

「そんなに焦って治療しようとしないでいいんです。自己治癒力も信じてゆっくりやりましょう。ね、もう頑張らなくていいから。そのままでいいから、ゆっくり前に進みましょう。必ず治るから」

「私は私のペースで人生を歩んでもいいんですかね。わからないのです。焦るのです」
主治医「僕なんて医大入り直したの37だからね!?楽しく生きてりゃ何だってできますわね!まずは頑張らないでいなさい」

私の二十代は他人に捧げた二十代でした。私の三十代は私に全てを捧げます。

主治医が私にくれた大切な詩


私は私を探し出す旅に出ようと思います。
抑圧して殺してきた自分の声をきちんと聞く年にしようと思います。
もう、他人よりも自分が大事です。
痛くないわ、なんて嘘。痛いんです。
こんなの平気よ、なんて嘘。苦しいんです。
だからもういい子ちゃん終わりです。
君の病気は時間がかかるよと改めて言われました。
主治医もおそらくもうすぐ70です。彼が生きているうちに減薬して卒業したいです。
ほら、話せばちゃんと分かり合える。
11年間あなたを信じてよかったな。
ありがとう。私を入院病棟に送らないで見守ってくれて。

大好きだけどとことんクズだったね

祖父は中国で捕虜になって帰国して、教え込まれたことと現実の差についていけずに毒薬を飲んだ。顔が歪みはしたが生き残った。
そして私の祖母と結婚し、自分の寿司屋を持つも失踪。ある寺で倒れているところを保護された。持っていたのは娘の写真一枚。
寺に精進料理を作る料理人として数年いたらしい。そして仙台に移った。
その間に祖母はしっかりと離婚している。
そこでおばちゃんと出会う。2人目の妻だ。
祖父は所謂ヒモになった。おばちゃんはキオスクのおばちゃんとして稼ぎながらクズな旦那を愛した。
祖父は愛人もいた。夜の店をやっている女性から金を出してもらい自分の寿司屋を再び持った。今度は寿司屋の大将として弟子もいた。
そんなある日祖父の母が死に、葬式に出るために実家に帰って来たところで私に会う。
当時私一歳半。祖父が失踪した当時の母の年齢と同じだ。そして私と母は似ている。
それから祖父は人が変わったかのように妻には内緒で地元にやって来た。私に会うために。
母と私が被って仕方なかったのだと今は思う。
そして我が家の敷地も跨いだ。跨がせた祖母を私は本当にすごい人だと思う。
私は祖父の膝の上に座っていた記憶しかない。顔も歪んでいたのだろうけれどニコニコ笑う優しいおじさんという記憶しかない。
あれが私の祖父だったと知らされたのは祖父が死んでからだ。
祖父の最後は呆気なかった。急性白血病でころりと死んだ。娘に看取られながら。
クズな人生を生きた人の最後にしては幸せすぎたと思う。
そんな祖父はヤのつく稼業の人に慕われる性格だった。一度出前が来たのでいざ届けたら金を払わないと言い出し、祖父がブチ切れて事務所に乗り込んだ。
そこで思いっきり啖呵を切って言い負かしてからやたらと親しくなってしまったそうだ。
祖父は見栄っ張りな人だった。本当は弱い人だったが、人前ではいつだって強気に見せた。
馬鹿な人だったのだ。本当に弱く情けない馬鹿な人だったのだ。
私には戸籍上祖父はいない。けれど、こんなクズでどうしようもなかった人を私は祖父として認識している。血は繋がっているから。
皇室の前で包丁式までやった立派な職人でもあったが、ただどうしても人としてクズだった。

だから私は見栄っ張りが嫌いだ。祖父を思い出すからだ。見栄っ張りはとにかく人に迷惑しかかけない。素直が一番いい。
だけど私自身見栄っ張りだ。馬鹿なのだ。その見栄というのは健康的な意味で強がるという意味だけれど。本当に困ったものである。そんな自分も大嫌いだ。

何故祖父のことまで書いたのだろう。暇だったからというのもあるけれど、取り敢えず書き残しておきたかった。
こんなにもクズでどうしようもない祖父を私はやはり嫌いになれず、ああもう情けないと思いながらあの日の膝の上のぬくもりを思い出してはにんまりしてしまうのだ。

折れるなら根元から思いっきり折れた方がいい

今日はいろんな懐かしい人に会った。
久しぶりの野外イベントだった。
1月から会議を重ねてきた当日で、ああやっとここで無事に終われば一仕事が終わると思った。
私に出来ることは文章を書くことだ。
だから人の文章を推敲したり、申請書の筋書きを作ったり、ウェブでの告知をしたりしていた。
長かった。冬季うつと春うつの私には重い時期の仕事だ。毎回このイベントは私にとって一番苦しい。
それでも何故やるか、人との関わりを絶たずに生きるためだ。人から何かを得るためだ。自分に刺激を与えるためだ。そして私もいつか何かしらで…と社会と繋がる結びつきが欲しいからだ。
とりあえず、無事に終わりました。


今日は「あなたはまずあなたを受け入れるところからだね」と長年の私を知っている方々から言われた。
あと、「明らかに何か変わったことがあったでしょう?それね、良かったと思うよ」とも言われた。
思いっきり笑ってしまった。その通りなのだ。
まず、私は私のままでいいの前に、私は私を受け入れるところをすっ飛ばしていた。
だから私はもがいた。何者かになろうとして必死にもがいた。所詮自分は自分でしかないのに。

根っこから根こそぎ折られてから、私は私を初めて眺めた気がする。なんて弱々しく細々とした体なんだろうと驚いた。何故こんなにも傷だらけなんだろうと。手も足も酷いじゃないか。
素足じゃないか。抵抗する武器も持たずにここまで来たのか、と初めて知った。

「私は私でいいのよ」はスタート地点でしかない。私が私であるためには必ず何かが付きまとう。それは人によって違う。レベルも違う。だから人と比べる必要もない。
しかし「私は私でいいのよ」のスタート地点にも立てていなかったのだ。ずっと。
だから私はまず出来損ないの武器も持たない弱っちい私を受け入れるところから全てが始まる。
「私は私でいいのよ」と言うために努力するのは次のステップだ。私が私であるためには何が必要で何が不必要か。私が最も自分を愛せるように何が出来るか。それは取り敢えず次のステップ。でもやることはわかっているから、有難い。
「私」は日々変化していく。2年前とも、1年前とも、1ヶ月前とも違う。その時に合わせて私は私を構築する。
きっと慢性疾患の病に体をあちこち引きずられながら。障害と名前がつくと流石に笑う。私は障害者だ!って顔で生きるのは嫌だから、私は私だから。
でもまあ病には時に勝てない。日々一歩一歩ちょっとした何かからしか始められない。
明日の私はきっと今日使い切ったエネルギーでパタリと倒れているだろうし。

まずは己を知る。弱くてダサくて惨めでみっともなくてもいい。ここまで生きてきてくれて有難うって今は私は私に言いたい。