試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

まり子姐さん

タイトルは私の祖母のもう一つの名前だ。
祖母は芸妓だった。女手一つで母を育てた。
客を叱りつけることも当たり前にする三味線弾きで謡唄いだったそうだ。
ただ化粧水とクリームを塗って、紅を引く。
化粧はたったそれだけ。あとは髪を結って着物をしっかりと着る。戦闘服だ。
私は自分の祖母のことをあまり知らない。
ただ、生い立ちとどういった仕事をして居たかと、私を叱りつけたり私と遊んだりした無口な姿と、病に伏せて寝たきりになった姿しか知らない。
祖母の口から子育ての話や仕事の話、生い立ちの話や今幸せがどうかなど何一つ聞けぬまま祖母は逝った。私が12歳の時だった。
9歳で寝たきりで話せなくなったので、実質祖母と話せて居た時間は短い。
祖母はしなやかな強さではなく、石臼のような強さの人だった。
どんとそこにいて、退かない。
行くものは追わずにくるものは拒まない。
その代わり愛想もない。無口な人だった。
そんな祖母が私はとても好きだった。
日本舞踊もお茶もできた。三味線も弾ければ歌も歌えた。私の知っている祖母の顔にはどれも無いけれど。
まり子姐さんとして立っていたあの瞬間、祖母はどんな思いでいたんだろうと時折思う。
一人娘の子供を夜家に置いて芸妓という仕事を続けている自分に何を思っただろうと。
祖母はぐちぐち言わない人だった。不機嫌になると口を閉ざしてただ黙り込む人だった。
私はそこも好きだった。でもあれは何を考えていたんだろうと今では思う。
周りから様々なことを言われても堂々と生きた祖母を私は誇りに思う。私は祖母が好きだ。
祖母も一度は毒薬を飲んで自殺を図っている。
発見が早くて助かった人だ。
あの人ですらやめようと思った人生だ。人生ろくなもんじゃない。ただ、私はまだかろうじて生きている。それだけのこと。
まり子姐さん、そしておばあちゃん、私は今日も誘惑に勝って生き残りました。

周りの死んだ人々のことをたくさん思い浮かべてしまう日が多い。
あの人たちは何を考えていただろうと。
思えば私は何も話を聞き出していなかったな、と気づく。あれだけの時間があったはずなのに。
あるおばさんは私が偶然撮った写真をたいそう気に入って「これを遺影にしてね」と言った一週間後に本当に亡くなってしまった。突然死だった。
そしてその写真は本当に遺影になってしまった。それから数年、私は人を写真に撮ることが怖くなったけれど今は大丈夫。
私は誰のことも何も知らない。わからなすぎる。一面すらも知れていない。
最近そんなことをよく思う。そして誰も私の一面すらも知らないのだ。

生きてるって実は凄いことだと思わない?

日記を書きます。
今日は全国的に低気圧でしたね。
私も見事にやられました。虚無の世界でした。
珍しく頭痛がないかと思いきや体が全く動かないという状態。これも困るのです。
気圧で負けない体になりたいなぁと思いました。そんな私は幼少期から気圧がダメです。

読書が苦手なんだという話をしました。
書いてあることを覚えながら先に進むというのが苦手らしいです。その人は人との会話も忘れることが多い人です。
文章にするとわからなくなるのなら、文章から理解した知識を図にしてみたらどうだろう?と提案してみました。
というのも、文字を追っていても頭に入らないものは形を変えなければ仕方がないからです。
そして実用書の場合は余計メモを取りながら自分がどこまで把握しているかを確認すると捗ります。
把握の目安は、「ここまでなら人に説明できるぞ」だと思います。
この勉強方法は専門学校の検定前によくやらされたことで、イラストにして図として把握することや、とりあえず口に出してみて自分の言葉に置き換えながら把握出来ているか確認してみるとか、とにかく図に書いて書いてを続けるだとか、ついていけていない友人に説明をすることで自分がどこまで把握しているかを客観的に知る等をしました。
一番いいのは取得経験のある人間がどういった勉強方法で取得したかをまず聞いてみることだと思います。
苦戦せずに読んでればいけたよーって人もいれば、自己流でやっている人もいるわけで。
そしてわからない部分はしっかりわかる人に聞き回る意識を持つことが一番大事だと思います。わからないは、恥ずかしいじゃない。迷惑じゃない。
そんなことよりもその人が勉強に割く時間すら無いのが一番問題だなと思っています。

こちらの県でも桜が見事に咲き始めたそうです。桜で有名な公園は見頃間近。
私は行ったことがないのでさっぱりわかりません。
雪が降らない地域はやはり開花が早いなという印象がありますね。
関東はもう葉桜に近いのかな。もっと南の方は完全に散ってるんだろうな。
この時期は昼と夜の寒暖差の激しさにエネルギーが消耗されます。
春は疲れる時期ですね。新年度、新生活、寒暖差、気圧の変化。
みんなみんな体を大事にしていてください。

眠剤がまるで効かないことに驚きながらもうここまで文章を打ち込んでしまいました。
少し多めに飲んだのですがサッパリですね。
いつもなら書いているうちに眠ってしまうのだけれど。
これもまた相談かな。医師と話すことが山積みです。
さあ、明日も1日生き延びようね。

君はいつだって側にいてくれたけれどさようならをしようと思うよ

人には建前と本音があると知ったのはいつだったかな。小学生の頃か。
私はそれに衝撃を受けてついていけなくて弾かれたので、思ってもいないことをテキトーにペラペラ喋るのだけは上手くなった気がする。
けれどそれは結局自分を抑え込んで押し殺してしていることなので酷く消耗する。
なので私はもう思ってもいないことを口にするのは最低限の場だけにしようと思う。
私はいろんなものを手放すことを最近考え始めた。

今日、10年近い物書きの知人から、「私はまた1から積み上げないといけないから」と話したら、「積み上げるのやめたら?いいじゃん。そのままで」と言われてびっくりした。
ああ、そういう考え方も確かにあるとびっくりしたのだ。
積み上げていないと生きることを許されない気がして、背伸びをたくさんたくさんしてきた。
私は、そのままの私を受け入れるところからがスタートなのか、とヒントを貰った。
このヒントは最近周りからたくさん貰う。
私は積み上げていますので、頑張って頑張って必死に生きているので、どうか生きることを許してくださいと頭を下げ続けてきた人間が、いきなり自分をまず受け入れるというのはとても難しい。
今はとりあえず生きてるだけではなまる。
本当によく生き残ってくれている。自分が一番驚いている。
よくまだ手放さずに生きてくれているね。
周りの人に感謝しないといけないね。
有難う。

自主入院に関しては、とりあえずもう少し様子を見ようと思う。
もう少しいける気がする。周りもいるし。

そうそう。私には涙ボクロがある。
幼少期からずーっとあるもの。
幼い頃、「泣くと大きくなるよ」と脅されていたので涙ボクロが大きくなるのが怖くて仕方なかった。
思春期はこの存在が嫌で悩んだ。
大人になって、褒めてくれる人たちに出会った時に驚いた。え、こんなものがあるのに?って。
しかし最近、「もう取っちゃえば?」という一言を受けてそろそろいいかなと思いだした。
いろんな涙を浴びてきた涙ボクロ。
一緒に戦ってきてくれた涙ボクロ。
私は泣き虫なので特定の人の前ではたくさん泣いてしまう。
この子と年内にさようならをしようかなと思っている。褒めてくれた人には申し訳ないけど。
ちなみに今はもう何も気にしていない。これがあるからといって悩んでいるわけでもない。
ただ、今まで流してきた涙を浴びたホクロとさようならがしたいだけ。
もう、いいよ。今まで有難う。それだけ。
ある顔だって私は好きだったよ。
年内といっても夏以降だな。冬前辺りかな。

寒暖差になかなか体がついてこない。
春はこれが多いね。今晩は冷えている。
そして明日からは気圧が大変なことになっている。
各自身を守りましょう。

読まなくていいことがこの世界には沢山ある

12月頃の日記を読み返した。
とても前向きに生きようとしていて驚いた。
12月以降から私の生活はどんどん荒れたのだけれど。何がきっかけだったんだろう。
1〜3月は本当に荒れていた。荒んでいた。
4月に入り、私は完全に無気力と化した。
冬季うつからの春鬱。
来月私は誕生日を迎える。そのせいもある。
私は誕生日が大嫌いだ。
生まれた日など誰が好むというのだろうというくらい嫌いだ。
そんな訳で私の中には焦燥感と希死念慮とそれと噛み合わなそうな無気力が同居している。

今日はツイートをしていたら夏の感情がフラッシュバックして凄い言葉を羅列してしまったので消した。
比較的まともなものを残しておいたつもり。
私にとってまだこの世界は賽の河原だ。
必死に積み上げたものを、他者が何食わぬ顔で蹴り飛ばしてしまう。
それも1年や2年だけじゃなく、もっとたくさんの時間をかけて積み上げてきた石が「お前のやってること無駄だよ」って蹴られてしまう。
その人の価値観や主観の入り混じった「心配」という言葉を借りた暴力で私はどんどん生命力を奪われた。
ただでさえショックな出来事があって健忘が起こっている時に重ねてくることなかったじゃないか。
おかげで私は後退したよ。またやり直し。
積み直し。この歳まで来て。積み直しだってさ。嫌になっちゃうね。本当に嫌になるよ。

今私は自主入院も視野に入れている。
それだけもう苦しい。自己管理の限界を感じている。
投薬管理ができなくなった。金銭管理も怪しい。
このままだと私は私を傷めつけるだけ傷めつけて殺してしまいそうだから。
入院経験はできればしたくないのだけれど、このままだと致し方ないかなという思いがある。
何が問題って自傷癖の再発と、ロープを眺めに行っているのがまずい。
まずいとわかっているだけセーフなのだけれど行動力がある日にやらかしそうだなぁとは思う。
とても冷静に思うから怖いのだ。
むしろ今まで入院して来ていないのが奇跡なのだけれど。あ、癲癇では入院したね。

家族の前で気を遣うことにもだいぶ疲れ始めている。あのパワーと向き合えない。
健常パワーというのは凄い。本当に恐ろしいまでに殴りかかってくる。
ああ、ああ…と対応しているうちにこちらのHPが赤くなっている。
食事くらいストレスなく食べたいなぁ。
けれど一人で居続けたらメンタルに本気で悪い気がするので対人療法だと思って参加している。きっついです。

そんな素直なことも書いておこう。

お腹が空かない時って大抵上手くいってないのよね

今日は空腹感が全く感じられず、取り敢えず食べ物を口に突っ込むを1日に2度やりました。
最早食事というか作業。
空腹感を感じない日は大抵落ちている日です。
さあ、気圧はどう?と見てみたらがっつり落ちていたので思わず笑いました。
ちなみに今日は雨でした。
どうでもいい知識ですが、我が家の闇犬は雨の日のメンタルがめちゃくちゃ低いです。
雨が降っているだけでしょんぼりします。闇。

誰かの文面を見て思わず引きずられる人がいますね。そして勝手に心配してしまう人もいます。
Twitterで垂れ流すとそういった人たちが引きずられるので私はブログという形をとりました。
しかしこのブログでも引きずってしまいそうな人がいるので、思い切って私がURLを変えました。
Twitterもブロックしましたし。
たったそれだけのことです。
私も思い切ったことが書けるし、向こうも引きずられなくて済む。win-winの関係ですね!

さて、今日もまた私は一波乱起きました。
もうお前達とは関わらないからなと決めた人からの再度のInstagramの申請に目が飛び出そうになりました。
Twitterブロック、Facebook解除、LINEブロック、まだ気付いていないんでしょうね。
いいと思います。私はもう知りません。

私は私の身を守る武器を手に入れようと思いました。
そして、優しい都合のいい人も止めることにしました。
私はただのメンヘラです。なんなら、一度回復した部分から思いっきり悪化したメンヘラですから、あれこれやってられないのです。
私は私だけの居場所をしっかり作る作業に入ります。
自分を愛する練習、自分を守る練習、必要のない他者を切り捨てる練習、取捨選択の練習、自分の意見をきちんと言う練習、感情表現の練習…。
私の課題は山積みです。悪化する前はできていたことも再びやり直しです。困ったものです。
しかしそれを一つ一つ着実に身につけたら私はとっても強くなります。
私は武将になります。強い刀を手に入れます。
気に食わないやつは容赦なく叩っ斬ります。
人を見極める力というのはとても大切ですね。
静かに観察する能力もまた私に足りないものです。
私は歪んだ認知を持った4歳児くらいなんだと思います。精神的に。それを育てていくのも私の仕事です。

今日も無事に家族と食事を摂りました。
もうそれだけではなまるです。
今の私には家族の声も厳しいので。
ああ、眠る時間が来てしまった。戦いの時間。
さあ、頑張ろうね私。ベッドに潜るんだよ。