試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

私が私にはなまるをあげる日

今日は起きたらお昼であちゃーとなりました。
午前中になるべく眼を覚ます(9時頃には起きたい)を志しているのですが、眠剤が効き始めるのが2〜3時なので眠剤を飲むタイミングをしっかりしないとなりませんね。

今日は(敢えてこの表記をします)メンヘラAが、「私部屋掃除をしてるの」と言っていたので、ついノリで「私も一緒にやる」と乗ってしまい、ついでにメンヘラBも乗るという3人でライン通話をしながら各自掃除をするという日でした。
それぞれ体がしんどいけど何とかやってみよっか、ってなった時のエネルギーって馬鹿にできませんね。
片付けたいと思っているものすべて片付きました。
真冬に何も出来なかった分を今日取り戻しました。
私は自分の部屋の掃除があまり得意ではないです。しかし人の家の家事は好きです。(調理を除く)
特にトイレ掃除がとても好きです。達成感というか目に見えてキラキラされると嬉しいんです。
あと、洗面所とかの水垢を綺麗にするのも好きです。地味なことが好きなようです。

その後は書きたい書きたいと思っていながら数日ダウンしていて書けなかった手紙を書いて投函して来ました。
手紙を書くことはとても好きです。貰った時の喜びは格別です。
しかし私は絵が描ける訳でもないし、デザインセンスもないので殺風景な手紙しか書けません。
それがほんの少し悲しいです。
手紙にささやかなおまけをつけてくれる人の優しさにとても幸せな気持ちになります。
そういう心遣いをきちんと身につけたいなと学んでばかりです。

そして今日は家事もしました。
家族ともきちんと食事が出来ました。
本当に今日は調子が良かったのだなぁと振り返ってみて思います。
これが段々と続いていけばいいのですがね。

ツイキャスで話したはなまる作戦は私にとってとても良い刺激になっています。
幾つか目標を決めて、出来たら花マルをつけていく。
最初は20pスタートにして、無事に達成したので次は50pにしました。その分、目標も増やしました。
それでもダメな時はダメです。それでいいのだと今は思います。
まずは自分の体を客観的に見つめることをしっかりしたいと思います。この疾患がどのように日々に左右してくるのか見極めるところからが大事になるのではと。
私は調子が悪い日にすぐ気付けませんでした。夜になってやっと、今日はおかしかったんだと気付いていた人間です。
しかし花マルチャレンジをやると花マルのつく数で一目瞭然です。とても便利。

まだ、読書や映像作品までは手が伸ばせません。
とにかく今は1日1日食事をきちんと摂って、手の届く範囲のことにチャレンジします。
ダメな日に自己嫌悪に陥らず、ゆっくり休もうねと自分に言えたらまた成長です。
日々成長中です。


写真は全く関係ないです。

特にないの

Twitterもブログも何だか気力が湧かない。
言葉を残して何になるんだろうかと思うと140字の世界すらも埋められない。

ぼんやりとした日々を過ごしている。
若干解離が出ている気がする。
淡々と日々が過ぎていく。
体の疲労は日々変わらない。
起きたらすでに疲れている。
そういう病気なんだよなぁと痛感する。
それでも何とか体を動かしている。
休め、と言われても休み方があまりわからない。
イベントのやり取りをメッセンジャーで会議している。
休んできていたはずなんだ。
でもそれは上手い休み方では無かったらしいと今になって気付く。
あれは、無茶だね。ただの、馬鹿だね。
取り敢えず、今の方が休めている気がする。
元気なふりをしなくなってから、気が楽だ。
勿論まだ完全にその癖が抜けているわけではなくて、作り笑顔バンバンしてしまうんだけれど、それでもやめようと決めてからは心がほんの少しだけ軽い。
だって元気じゃねーんだもん。
どう考えてもこれを元気とは言わねーもん。
元気じゃないと自覚出来ただけわたしは凄い進歩だと思うんだよなぁ。
わたしは元気!って言い聞かせてた頃を考えると頭がおかしいなぁ。

こんな日々の中でも調子が悪いとしても比較的いい日がある。
そういう日はご飯が三食食べられたり、比較的朝方に起きられたりしている。
それだけで今の私ははなまるだ。
凄く調子がいい日は調理をしてみたりする。
散歩をしてみたりする。
その代わり翌日は動いた分だけ疲労が強い。
体力的な問題だと思っていたのだけれど、自分の疾患を調べたら慢性的な重い疲労感はどうしようもなく、動いたら動いただけ代償を払っている人が多くいた。
でも体力はあって損はないのでスクワットをしている。
無理のない範囲で、私は私のできることをしようと思うよ。

1人の世界がこんなにも優しいと、病気になってから初めて実感している。
私今までこんなにも人に尽くしていたんだなぁって思う。
人に尽くすパワーがあったのなら、自分に尽くしてあげればよかったね。
けど過去は過去。これから尽くしてやろう。

通院メモ

通院を始めて11年目にして主治医が初めて私の涙ボクロの存在に気づいて感心していました。
僕は本当に人の顔を見ていないんだなぁとしみじみ言っておりました。
そうでしょうね。これに気づかないとは本当に見てないのでしょうね。

さて、現状維持を言い渡されています。
今は無理する時ではない。今のままでいいと自分を許して自己肯定感を上げてあげる時期だよと言われました。
人生を楽しく生きようと意識して、と何度も言われました。私にはその感覚がいまいちピンときていないのがバレているんでしょうね。
人生を楽しく生きる…楽しく?生きる???
私の頭の中はそんな感じなので治療の先は長いですね。
未来の話もしました。とりあえず終わりの見える物事をやっている方がいいね、ということでイベントに関わっていることに関してとても褒めてもらえました。
終わりがあり、達成感があるものはとてもいいことだと。
今の私にバイトやパートなどの終わりの見えない物事は刺激が強すぎるそうです。なのでまだそこまで行けません。
とりあえず今年もイベントを頑張ります。二つ目もすでに動き出したし。

主治医は今日も処方箋ミスをやらかしました。
主治医は話が盛り上がっていると処方箋ミスをする癖があります。
薬局で気づいてもらえたのでとっても有り難かったです。
しかしその薬局も今回自立支援の自己負担上限額を超えたのですが普通にお金を徴収されそうになり、あわあわしました。
調剤事務の人と私と薬剤師さんとあわあわしました。
今日はなんだか気の抜けない1日でした。



私の好きな乙女椿をパチリとしてみたり。


朽ちて落ちた椿をくるくる囲んで一枚に収めてみたり。


ももう終わりだねと桜吹雪の中でブランコを漕いだりしました。

今日は比較的穏やかだったと思います。
やっと冷えピタを貼らずに眠れる夜になりました。微熱が落ち着いたよ。
蕁麻疹も落ち着きを見せてきました。
あとは胃だけ。胃もだいぶ元気になってきているよ。まだ薬は欠かせないけど。
体力欲しいね。その前に気力が欲しいな。そういう病気なのだけれどね。欲しいなぁ。

追記

とさっきまでのブログを自分で読み返してモヤモヤする。
他人に私の気持ちがわかってたまるかとモヤモヤしている。多分これは怒りだ。
人間はいろんな顔がある。だから気持ち悪い。
私の価値観の中では理解できないようなことを当たり前のような顔で平気でやってのける。
それは人としてどうなの?っていうことすらも。
私は私を傷つけてきた人間に対する怒りの消化若しくは昇華を終えていない。
なにが友人だ、なにが仲間だ、なにが恋人だって名前のついた関係性に唾を吐きたくなる気分の時だってある。
所詮男と女は棒と穴です終わり。そんな感じ。

つくづく人って面倒臭い。
あなたの為よなんて顔で土足で踏み入ってくるマナー違反さとさ。おい、車だって車間距離空けて走るだろうが、お前人間にも距離感ってもんがあるんだよ、と思う。
私のなにを見てなにを聞いて知った気になるんだか知らないけどあなたはこういう人って定義をつけて心配してきたり好いてくれたり何でもありなんだなってびっくりする。

私のなにを知っている?
私がお前に何か伝えているとでも思っているのか?

伝えたいと思う人はいる。
それ以外の話。

文字の世界は擬態が楽だよとってもね。
誰にでも何にでもなれてしまうから素晴らしい世界でもあるしくだらない世界だとも思う。
キャラクターを作り上げることはとても簡単だ。
オンライン以外の私なんて誰も知ることがない。
通話だってそうだ。切った後の私がどんなであろうが伝わりようがない。
絶対的な距離感というのは夢を作り上げる。

私のインナーチャイルドはいつも人を試そうとするからよくない。
この子を宥めるだけで私は精一杯だ。
なにを信じようと自由だよ、だってここはネットの世界だから。

正直、昨年の夏で人には本当に疲れ切った。
勝手に生きていってくれ。
各々勝手に生きて死ね。そう思っている自分もいる。

途中から何が言いたいのかわからなくなってしまった

「強がり」決しては「強く」はない。
寧ろビビリだから、強がっている。
毎日何度も自分で言い聞かせる「大丈夫」。
毎日言い聞かせられた「貴女はあのおばあちゃんの孫で私の娘だから強い」。
そう、確かに私の祖母は強かった。母もまたサバイバーであり、逞しく生き残るしかなかった人だ。確かにこの2人はとても強い。
けれど私は同じ人間ではないので、その言葉を暗示のように自分の中で繰り返した。
あの2人に恥じぬように居なければと。

無視をされても気にしないふりをした。
なら別の子に話しかけてその中にいようとした。
本当は辛かったし痛かったし苦しかった。
悪口を大声で言われても何が?という顔をした。
本当は全部胸の中に刺さっていた。
「土下座しろ、謝れ」とありもしない事で繰り返させられた土下座には真顔だった。
形式的に膝を折って額を床に擦り付けた。そうしなければ終わらなかった。
悔しかった。全員に殴りかかりたくて仕方なかった。お前達は何様なんだと心底腹が立った。
私は「強い」から「弱いやつらの相手はしない」そう言い聞かせて生きてきた。
強がって、強がって、本当の感情が何だかわからなくなってしまった。
帰ってからは今日も相変わらずだったよ、と淡々と答えて、あとは心配をかけさせまいといつものように振る舞った。

だから咄嗟に口から出る言葉はいつも「大丈夫」。
私なら何にでも対応できるから気にしないでねオッケー!って気楽に言ってしまうけど何一つ大丈夫じゃなかったりして、どう大丈夫にしようか落とし所を必死に考えたりしている。
明らかに表情に出ているほど弱っている時に、相手から何かを聞かれても答えられない。
明らかに原因がわかっていても「いつものことだから気にしないで」って笑う。
いつものことってもう何年やってんだ。
人に頼るということがどういうことなのかよくわからない。
これを身につけなければ社会はとても生きにくい場所なのに今でもどうしたら良いのかわからない。
素直に言って良いのだろうか。けれど迷惑をかけないだろうか。私自身で何とか出来ないだろうか。頭の中でぐるぐるとしてしまう。

自分から言わなきゃ、相手には伝わらないんだ。
年々そう思うことが増えた。自分からきちんと伝えることの大切さ。
それが例え相手の望む100点満点の答え出なかったとしても、まず伝えてみること。
自己完結で全てをやってきた人間にとって、このコミュニケーションが一番難しい。
自己完結ほど身勝手で我儘なものも無いのだけれど。

もう少し心を柔らかくして、もう少し人に心が開けるようになりたい。

切り落とされていく髪にいつもさようならと口にする

髪を切りました。
ショートがベリーショートになりました。
襟足がスッキリして気持ち良いです。
しかし美容室は疲れますね。全身が強張ってしまって今は肩こりが尋常じゃないです。

しかしイベント後から体調を崩しています。
過労だと思うのですが、普通にご飯を食べると消化不良を起こして吐いてしまうので少量のご飯と胃薬で対応しています。
冬季うつ明けからの野外一日はやっぱりそれなりに負担がかかるのですね。
それでも当日はほぼやることもなく(SNSは更新し続けていましたが)、本当に自由にふらふらとしているだけでした。
他のメンバーが6時集合しているのを私は8時にしてもらったり。
それでも私の体はまだこれだけダメージを受けるのね、と勉強になりました。
イベント明けからなんだかんだ一日何もしないという日を作ってないのもよくないのだと思います。
明日辺りはゆっくりしようと思います。
私をよく知る人にも「今のあなたは今までのあなた以上に体力がないんだから特にイベントなどは考えないといけないよ」と注意されました。
本当にそうです。気をつけなければ。

イベントが明けてからは、夕方になるにつれて体調ががっつり悪くなります。
それまでは何かしら出来るのですが、その何かしらをやるせいなのか力が全てなくなって、夕飯を食べるのも精一杯な現状です。
体力づくりをしなければなりません。
ここまで弱っていると思っていなかったんだ、正直な話。
メンタルが弱っているのは自覚していたけど体もここまでボロボロだったんだねぇ。
私は体への気遣いが足りなさすぎる。
ちゃんと意識してあげないといけませんね。
「なんとかなるでしょう」はやめることにします。きちんと計算をして動きます。

とりあえず早く胃の不調よ、治ってくれ。
結構ストレスだぞ。自分が悪いのだけどね。

医師から「もう頑張るな」と言われてから、なんだか心が非常に楽になりました。
ああ、いいんだね、焦らなくていいんだねってやっと自分に言い聞かせられそうです。
無意識に頑張ってしまう癖がついているのも治さなければなりませんね。
きちんと今出来ることと出来ないことの判別ができるようになるのが今の課題です。

そうそう。上記のイベントで私は中心メンバーとして立ち上げから会議などに出席してイベントを開催したのですが、謝礼をいただきました。
今年は満足に体も動かず、自分の思う形の広報が出来なくて悔しかったのですが、有難く頂くことにします。
私、お金稼いだよ。自分のやったことが仕事になったよ。それがとても嬉しかったです。

今日の病院メモ

どうにも前回の診療のモヤモヤが激しいので医師と一発やりあってくる。言い方を間違えました。話し合ってきます。伝えたいことは全部紙に書きました。
あと頓服は合いませんでしたので変更してもらいます。睡眠導入剤の変更も願い出ます。

「もう頑張らなくて良いよ」って医師に言われて涙腺崩壊した。

「そんなに焦って治療しようとしないでいいんです。自己治癒力も信じてゆっくりやりましょう。ね、もう頑張らなくていいから。そのままでいいから、ゆっくり前に進みましょう。必ず治るから」

「私は私のペースで人生を歩んでもいいんですかね。わからないのです。焦るのです」
主治医「僕なんて医大入り直したの37だからね!?楽しく生きてりゃ何だってできますわね!まずは頑張らないでいなさい」

私の二十代は他人に捧げた二十代でした。私の三十代は私に全てを捧げます。

主治医が私にくれた大切な詩


私は私を探し出す旅に出ようと思います。
抑圧して殺してきた自分の声をきちんと聞く年にしようと思います。
もう、他人よりも自分が大事です。
痛くないわ、なんて嘘。痛いんです。
こんなの平気よ、なんて嘘。苦しいんです。
だからもういい子ちゃん終わりです。
君の病気は時間がかかるよと改めて言われました。
主治医もおそらくもうすぐ70です。彼が生きているうちに減薬して卒業したいです。
ほら、話せばちゃんと分かり合える。
11年間あなたを信じてよかったな。
ありがとう。私を入院病棟に送らないで見守ってくれて。