試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

ふと思い出したこと

私は幼少期からクソ生意気だった。
口も達者で親も泣かせた。
学校という世界でもそれは変わらず生意気だった。
中学生の頃は毎日のように呼び出された。

態度がでかい。
目立ち過ぎている。
ピアスつけて調子にのるな。
髪の毛を染めるな。

当時、1つ上の先輩からこれらを言われるたびに、ぼんやりと返事をしながら不思議なだけであった。
私には6つ年上の兄と8つ年上の兄がいる。
兄の友人達に相手をしてもらいながら日々を過ごしていた私にはどうにも1つしか違わない年上は幼くしか見えなかった。
だから、痛い思いも嫌な思いも沢山した。

いくつになっても、私は生意気だった。
年の近い年上の人にはあまり好かれない人間だった。もしかしたらまだ過去形では無いかもしれない。
そんな生意気な私を、面白がって可愛がってくれる人たちが沢山いる。
三十路になって、少し落ち着いた部分もある。

今日、友人と電話していて「学生時代って呼び出し多かったね」なんて話になったので書いてみた。
当時の自分が心の中であっかんべーをしている。
やっぱり私は生意気で、今でも呼び出されたらきっと話を右から左へ聞き流しては早く終わらないかなと思うのだろう。
そして、ネットの世界って最高だな、と思うのである。
年齢を超越して親しくなれるこの空間が私はたまらず好きだ。

こんな生意気な私をどうぞこれからもよろしくお願いいたします。

大切な人っていうけどみんな大切なんだよ

大好きな専門の相棒から電話が来た。
年相応の悩みを1人抱え込んでいて、話しているうちに涙を流している音がした。
泣いてくれて、ホッとした。
その後はお互いの好きなカルチャーについて、好きな作家について、好きな音楽について、あなたがいてくれてよかったということについて素直にたくさん話せた。
出会って10年目。
「あなたがいてくれてよかった」
そう言い合える大切な人がいることが幸せだ。

そしてまた1人、あなたがいてくれてよかったと思う友人から電話が来て、今日はなんてラッキーな日なんだろうとワクワクしてしまった。
先日誕生日を迎えたので手書きのメッセージを写真に撮って送ったのだが、それを印刷して日記に貼ってくれたようでとても嬉しく、その行動が可愛らしくてたまらなかった。
いつもいつも話を聞いてくれてありがとう。

「あなたがいてくれてよかった」
と書いているけれど、これは今繋がっている人全員に言えることだ。
素直に心からそう思う。
先日は長い付き合いになる大切な人がすすめていた音楽を聴いたらハマったし、いつも私が弱音を吐くとすぐにリアクションをくれる大切な人とは励ましあった。
周りに恵まれている。私はだから生きている。

専門の相棒が笑った。
「朱は絶対に相談をしてくれないよね」
こんなにも大切な人たちがいるのに私は未だに上手く人に話せない。
早くこれを何とかしたいのだけれど、どうにもこうにも本当に上手くいかない。
ここにも何度か書いているけれど、上達が見られない。
今年は?今年も?素直を頑張りましょう。

地元にいる時間も残り少しだ。
とことん甘えて帰るつもりでいる。
食べておきたい母の手料理も考えなければならない。
そしてきっと私はまた新幹線の中で自分を鼓舞する歌ばかりを聞くのだろう。

君がそうするなら私はこうするよ(追記あり)

夫のゲーム熱がまるで冷めない。
毎晩友人とVCをしながら子供みたいな声で笑って盛り上がっている。
あのー、妻がここで1人でいるんですけども…。

ゲームを理由に凄まじい喧嘩を何度もした。
そんな私は今新幹線の中でこれを書いている。
発想の転換
夫は好きなことを好きなだけやっている。
ならば私も好きなことを好きなだけやればいいのだ。
そう決めた瞬間、チケットを予約した。

1人で帰るのは半年以来か。
折角のクリスマスも年越しも別々に過ごす。
だってあなたが1人にしたんじゃないか。
地元で年越しをするのは2年ぶり。
我が家の大晦日はすき焼きと決まっている。
あと蟹が出てくる。
祖母の頃にはもっとお正月らしい数の子だとかいくらの醤油漬けだとか昆布じめなんかがあったのだけど。




12月22日の下書きですね。
結構なボルテージで書いてますね。
年明けました。2019年、前厄です。
すき焼きも蟹もお刺身も食べました。
お餅も食べました。
毎日FaceTimeで通話をするのですが、
凪が私の声に反応して部屋のあちこちを探すのが面白くてしかたありません。
夫も自分が変わらなきゃいけないことをきちんと理解してくれているので、変化を応援したいなぁと思います。

結構な確率で周りから「またゲーム!?」って言われるんですけど、ゲームを毎日やる人たちが私の兄なので、気持ちはわかるんです。
そして私も一時期寝る間も惜しんでゲームをやったことがあるから強く言えないんです。
だって面白いもん、ゲーム。
悔しいけどハマるととまらないもん。
十代の頃に年始の挨拶に行く予定が親と喧嘩して行かない!って行かずにDQのスロットを4時間近く回し続けた私です。
でもやっぱり、夫婦になったらほどほどにしてほしいもので。
ちなみに今の私はゲームらしいゲームはしてないです。


さて、今年ですが、昨年は溜め込みすぎてちょっとおかしくなっちゃったので、
無理なものは無理、嫌なものは嫌、と意思表示をする力を持ちたいと思います。
あと、私自身が幸せになることにフォーカスを当てていきたいと思います。

今年もよろしくどうぞ。

全然うまくいかないよ

11月22日は息子の9ヶ月の誕生日だったり、わんわんにゃんにゃんの日だったり、いい夫婦の日だったりしたようだ。

前に一度、友人から「結婚して幸せ?」と聞かれたことがある。
結婚をしたから幸せになるのではなく、結婚を機に幸せを2人で構築していくんだと思うよ。
なんかそんな言葉を返した気がする。
今月は、結婚してちょうど半年だった。
なーんにもうまくいってない。喧嘩ばっかり。
お互い感情的になると激しいから悲惨。
喧嘩の理由なんてゲームとか息子のこととかというか大体ゲーム。
お互い別室で寝るから、と言い合ってお前はベッドで寝ろ、いや、お前がベッドで寝ろ!とかやってばっかり。

「今日って息子の9ヶ月の日なだけじゃないよ。いい夫婦の日だって」と伝えたら、夫もこのところ多発している喧嘩に対して思うところがあったのか、じゃあ外でご飯を食べようと言った。
「この半年でいちばん記憶に残ってることって何?」
食事をしながら聞いた私に夫は間髪入れずにはっきり答えてくれた。
「喧嘩ばかりの日々」
おもわず笑ってしまうくらい清々しく答えてくれて、私もそれには同意だった。

どうにか仲良くしようと少し遠出をしたりもした。
2人の間に共通の絶対に揺るがないものを作ろうと犬を息子に招いた。
息子を招いてからは2人と1匹で犬猫関連のイベントに遊びにいったりもした。

それでも、繰り返し繰り返し喧嘩をして、
泣いて泣いて怒り散らして。
怒って怒鳴って物が壊れて。

喧嘩ばかりの日々、と答えられた時にようやく気付いた。
私達は、婚姻届を出す頃には既に日常にいっぱいいっぱいであったのではないかと。
私がそう言うと、夫も確かにね、と頷いた。
特に朱は我慢して何も言わなかったね、と。

とにかく、しなくていい我慢を積み重ねすぎた気がする。
単純に言えば良いだけのことだったかもしれないのに言えなかったり。
嫌だと意思表示をしてもいいことにいい顔をあえてしてしまったり。
私は素直じゃないのだ。

我慢、我慢、我慢、爆発、爆発、憔悴。

兎にも角にも疲れた。本当に疲れた。
だから昨夜は専門学生時代の相棒が薦めてくれた映画を1人で見て、携帯ゲームの素材集めという地味な行為に没頭して、昨日から今まで一睡もしていない。
けれど、すごく気持ちのいい日だった。
久しぶりに自然な顔で夫に向かって笑った気がした。
息子も夫も寝静まってから過ごす1人っきりの時間の贅沢さというものを知ってしまった。
そして、この贅沢をこれからもしようと思った。
私はやはり夜の生き物のようだ。

「どうして今日、この店にしたかわかる?前に来た時にゆっくりご飯を食べながら話しができたからだよ」
「歳を取ってもさ、オープンカーとかに乗ってドライブがしたいんだ。俺はそのためにスキルアップしたいんだよ」

ここ数日、喧嘩で一番伝えたかったことが言わなくても伝わった気がした。
あなたと毎日喧嘩したいのではないよ。
あなたと毎日出来る限り笑っていたいんだよ。
こういう会話がしたかったんだよ。

でもそれって余裕がなきゃ出来ない。
片方が出来ても片方は出来ないことだってある。
だから私はしばらく自分に自由を与えようと思う。
夫がいても、息子がいても、今は私自身の労いを先にしようと思う。
もう、我慢はやめだ。

というわけで、この半年喧嘩ばっかりしてました。新婚さんで仲良しね、なんて言ってくださったりした人達ごめんなさい。
全然うまくいかないけど、今日もなんとかやってます。
明日もなんとかやっていきます。


9ヶ月になりましたね。
あなたが来て5ヶ月がたちました。
反抗期真っ只中。けれどもとっても甘ったれ。
アレルギー反応が早く落ち着くといいね。
またドッグランに行こうね。

愛を撮ろう


幡野広志さんの写真展に無理やり行ってきました。
多分、これを見なかったら私は一生この写真展のことと優くん(息子さん)のことを思い出して後悔するから。
ガンを患って余命数年と言われたカメラマンの幡野さんが息子さんを撮影した写真だけが飾られている写真展。
撮影OK、SNSもOKでした。



優くんの怒った顔、不安げな顔、悲しい顔、笑顔、いっぱいあるんです。
それらがぐるりと並んでる真ん中に椅子があって。
コースターにメッセージが書けるのですが、写真を見ている時から涙が酷くてですね。
幡野さんかわいそうとかの涙じゃないんです。
私も明日死ぬかもしれないし。
こんなにも遊んでいる何気ない瞬間や、食べている瞬間や、泣きじゃくってる写真なんかも温かく並べられてて、優くんを見るカメラ越しの目線の愛がとても強くて、子持ちではないのに我が子とはこんなに素晴らしいのか…と疑似体験した瞬間でもありました。

ガンを患ったことを公表して、逆にいろんなお仕事が入ってきて大変な日々を送られているようです。
幡野さんのnoteもとても素晴らしいのでお時間ある方は読んでみてはいかがでしょうか。

さて、我が家の愛は?というとお互いに余裕がなくてぶつかり合うことが増えてきました。
そんな時にお互い神社仏閣が好きでも嫌いでもないのでちょっと北鎌倉まで行っていました。
階段を登ろうとした時に夫に「ちょっと待って!」と声をかけられ、支持されるがままに撮った一枚。

インスタ映えか!有名なアングルでまさか夫が撮るとは思わず驚いた日でした。

気持ちに優しさと余裕を持ちたいですね。

これも愛なんだ

住んでいる場所も近く、犬の誕生日も1日しか違わないカップルと飲んだ。

きっかけは女の子が後部座席に定期入れを落としたことだった。
彼女は大きな声で口も隠さず「わはは」と笑う。
それがとても好きだと思った。

蒲田の串カツ田中は犬同伴オーケーなのでドキドキしながら犬用のリュックに犬を入れて初めて公共の乗り物に乗った。
犬は静かに、ここにいませんよというようにリュックに収まっていた。

串カツ田中だけではなんだか寂しくて路上でワインを飲んだ。
言いたいことをボロボロ言った。
彼女の方はわかるわかると言ってくれたし、夫にはまたその話かよと思われるのかなと思いながらもワインの勢いで話が止められなかった。

カップルはとても優しく、我が子を撫でてくれた。
カップルの犬に指示語を出したらしっかりと言うことを聞いたのでとてもいい子だと思った。
カップルの二人はいつもは気まぐれなのに!と驚いていたが、あの子はきちんとわかっている。
立派な犬だ。

あまりにカップルの犬を可愛がっていたら、僕のママですよ、というように我が犬が入り込んできたので笑った。
普段そんなヤキモチ妬かないくせに。
ちなみに犬同士は会うのは2回目なのにようやくお尻の匂いを嗅ぎあった。
どちらの犬も人間にしか興味がないのだ。
性格まで似ている。

夫が楽しそうに他者とお酒を嗜むことが嬉しかった。元来、そういう人じゃない。
犬はたくさんのことを変えてくれる。

お酒が少し残りながらも眠りにつく。
明日からまた頑張ろう。

後ろめたい

私達夫婦の間に子はいない。
その代わり、犬が一匹いる。
地元に帰って来て改めて感じたことは、
子供連れの多さだった。

毎年主催をしているイベントの設営に帰省した。
ほぼ子連れ。その中に一匹、オムツシートを付けられてなになにー?と無邪気な犬。
いろんな家族の形があってもいいんだとわかっているはずなのに後ろめたくなる。

子供を授かって産むにも体力的な部分、金銭的な部分でそろそろ決断しなければならないなぁと思った。
私はどうしたいのだろう。
犬は嬉しそうに枯れ草の上を歩いていた。