試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

前回の続き


部屋にて私の青春が発掘された。


大好きな温泉に向かう途中で何気なく寄ったラーメン屋さん。お年寄り夫婦で経営されていた。味は優しく美味しかった。ここは餃子が有名らしく、テレビにも出たことがあるらしい。
噂の餃子は本当に美味しかった。


愛知から友人が駆けつけたので3人でぽんしゅ館を楽しんだ。飲んだことのない日本酒を選べばいいのに最初の一杯と最後の一杯はどうしても好きな日本酒を飲んでしまう。


ラーメン多くないですか?ってそろそろ言われそうですね。これが私の知っているラーメン。
生姜醤油のラーメン。今まで当たり前で気づかなかったのですが、県外のラーメンを食べてから久々に食べたら生姜醤油の意味を知ることができました。本当に生姜の後味強いんだ!!


帰省して最後に食べたのは父がコトコトと火を入れ続けてくれたあんこで食べたお餅。
甘すぎなくて優しい味でペロリと食べてしまった。数年前からあんこは父の役目となった。
今年も美味しかったよ。ご馳走様でした。


帰る数日前からブン太は抱っこをさせてくれるようになった。
ブン太もう成犬なのであまり抱っこをせがんでこなくなっているが、それでも抱っこさせてくれた。帰る日も抱っこをさせてくれた。
柴の成犬。10キロ以上の重みが愛しい。
また抱きしめさせてね。



帰ってきた私を喜ばせてくれた2冊。
どちらから読もうかニヤニヤしてしまう。
まだ本を読むほどの集中力が戻っていないのでちまちまと読み進めようと思う。
私はこのお二人が大好きです。


というわけで、戻ってきました。
ただいま。

言葉にして残すにはあまりにも曖昧だ


地元の青空は控えめに現れる。


義姉の撮る甥っ子は最高に可愛い。


地元では有名なラーメン屋さんでラーメンを食べた。義姉の故郷。そして大切な恩人2人が今住んでいる街。とても美味しかった。


雪景色を見て、帰ってきたんだと思った。


12日から帰省している。
猛烈な大寒波と共に帰省をしたので早々に体調を崩した。
半年ぶりに会った家族は「お前は変わった」と口々に言うが、それが逆にプレッシャーで変わった私でいなければならない気がしてしまう。
なので家族と顔を合わせているときは変に元気な顔をしている。
こう言うところは何一つ変わっていない。

主治医に会ってきた。
この半年間の生活と状態をゆっくりきちんと伝えられて良かった。
電話と会うのとでは全然違う。
「今は精力的に動く時ではない」と珍しく指導が入った。
主治医がハッキリと生活に言及してくることは少ないので少し驚いた。
かかりつけ薬局の皆さんは私が入るなりワイワイと集まって会っていない間にあったことを話してくれた。
「たまには帰ってきてね」と見送られてなんだか笑ってしまった。薬局に来なくなることが一番いいはずなのだが。
私はすっかり引っ越したことになっているようだが、住民票も何も移していない。
まだ私はここの人間なのだけれど、おかしいね。

半年ぶりの地元は小さな変化はあれど私がずっと生きてきた場所として変わりなく、まあそんなもんだよなぁという具合だ。
たった半年なのだから当たり前だ。
とりあえずまたあちらに行くまでにやることとして、地元のラーメンを食べる、蕎麦を食べる、大好きな温泉に行く、甥っ子を毎日撫でるがあるので一つ一つクリアしよう。

半年ぶりに会った甥っ子は完全に距離感を忘れて戸惑っているけれど、撫でさせてくれるので優しいなぁと思う。
戻るまでにもう一度抱っこがしたい。抱っこが無理ならせめてブラッシングがしたい。
臆病で距離感に敏感な甥っ子。小屋から出てきてくれているだけで満点なのだが望んでしまう。ごめんね。

日付変わって今日は人に会う。
良い時間となりますように。

チラシの裏にすら書くほどのことでも無い

https://adventar.org/calendars/2535
チラシの裏なるものに参加させていただいたので、チラシの裏につらつらとかきそうなことを書く。
とはいっても私は何かをメモすることがあまりない。
テストの用紙や教科書に落書きをすることもあまりなかったように思う。というのも、そういったものに書くものとは文字ではなくイラストだったりする。イラストが苦手な私は余った時間をいつも用紙の余白を眺めたり外を眺めることに使っていた。

さて何かテーマが必要らしいのだがこれといって本当にテーマが決まらない。
アラサーまで実家で生きて来た人間が突然実家を出て他人と生きる生活を始めて変わったことでも書こうかと思う。
まず、一番嫌なのが自炊である。本当に便利な社会なのでお金さえあればご飯は手に入る。
しかし一食分にいつも払っていると少し高くつく。
実家暮らしの上に食べ物にあまり興味がない私は料理をして来なかったので毎日毎日レシピを眺めてため息をつく。
「食べたいもの…食べたいもの……」無いのである。
正直納豆にご飯、バナナ一本で満足してしまう人間なので自炊というのは階段を踊り場まで飛び上がるくらいにハードルが高いように思う。

それに加えて掃除があるのだが掃除は実家にいる頃よりもするようになった。
自分だけが暮らしているわけでは無いのでやはり意識をするようだ。そして自分でも驚いたのだが掃除が嫌いでは無いらしい。
実家の自室をあれだけ荒らしていたのに…。
洗濯、洗い物も同様に嫌いでは無いらしくあれば即実行できる。
ゴミの分別、水場の汚れをこまめに洗う、風呂場の髪の毛を定期的に拾う、等意外と自分はマメなんだなと知ったりもしている。

とはいっても毎日それができているかといえばやはりそう上手くもいかず、持病に唸らされて休んでいることも結構ある。
そういった時に頭に浮かぶ罪悪感と自責の念といかに仲良くしていくかが課題なのだがなかなか上手くいかない。
とりあえずここ数日始めたことなのだが天気のいい日は必ず歩くコースを決めてみた。
家事ができなくても歩けたら一つでも達成したことができるので自分を許せるのでは無いかと思ったからだ。
日々、試行錯誤である。

とこんな感じでだらだら書いて来たらあっという間に1,000字なのでこれ以上ダラつかないように終えよう。

冬です。今年も終わります。
気圧も不安定、気候も不安定。
どうぞみなさまご自愛ください。
ちなみに私の年内の目標は3キロ痩せるだったのだが全く変化がない上に忘年会という幸せな時期なので痩せるのは年明けに持ち越すことをここに書き残しておく。

1人になりたいと願うのは病気でしょうか

深夜3時。携帯の充電は5%。
タイトルはカッコーの巣の上でより。

先日日記に載せた冊子を買ってくれた人達がLINEで報告してくれたりした。
自分の書いた文章が載っている冊子を人が買ってくれて、その冊子がその人の本棚に並ぶのだなと思っただけで何だかクラクラしてしまった。
テーマが日記だったので、本当にありのままのその日を書いた。
その日、数時間毎に何をしたかを淡々と文章にした。ただの日常を提出した。
何ら盛り上がりも面白さもない。ただの日記。
そのただの日記を私はあまりうまく書けないので努力したつもりだ。
素直に1日を晒すというのは難しい。
今はまたその日とはまるで違う生活をしている。
変わらないのは生きているということと、生活に追われているということだ。

何だか今夜は眠りたくない。
日付が変わっているので今日はクリニックに月に一回の電話をして処方箋を出してもらわなければならないのに。
いつも午前中に電話をして、午後に薬を受け取れるようにしている。
主治医は電話の声で私の今を判断しなければならないので大変だと思う。
薬を受け取りに行ってくれている父や母には「良くなっていますね」と笑っていたらしい。
半分当たりで半分ハズレだ。
日中の活動量は増えているが、ストレス反応が激しい。
恐らく現状を頭の中で反芻して電話をかけるので、電話でのやり取りがしっかりしている点を良くなったと思っているのだと思う。
今回は薬と共に紹介状が届く。いよいよこちらに頼る場所が欲しいので書いてもらった。
幾つか当たってみる候補も決めた。
PTSDの治療をしている場所に絞った。
その前にいくつかクリニックに話を聞いてみたのだけど、長年治療していて今の現状ならば投薬治療は頭打ちと言えると言われたからだ。
そりゃあそうだ、と素直に納得した。
私の今の主治医は発達障害丸出しの宮崎駿に似ているおじいちゃん。
11年間お世話になりました。私は次のステップに進みます。
それでも、昨年の夏には就労許可がおりそうなところまでいったのだから、二人三脚で頑張りましたよね。
私は貴方の何にもとらわれず常に新しい発見を求めていく姿が大好きでした。
地元に帰ったら顔を出します。

人と生活していて思うのだけれど、私は本当に他人と生活するのが苦手な性格なのだなということだ。
苦手というよりもストレス反応が激しくて体に何かしら不調が出てしまう。
思ったことは素直に言っていいと言われても、そもそも何を思っているのかに気づくのが遅かったり、相手の顔色を伺う癖が抜けない。
それでもだいぶ泣けるようになったし怒れるようになったし自己主張ができるようになったと思う。
他人と生活している以上「察して」は通用しないので必死に言葉を探す。自分の感情の言語化のリハビリになっているなと思う。
そもそも自分以外の人の気配が苦手で、今一緒に生活している人の気配を受け入れられるようになったのは近年だ。
何でも1人で考えるな、と言われた時に人に相談するのが苦手だということにも気づいた。
こう言った点も治療できたらいいなと思う。

泣いても怒っても焦っても日々は過ぎてあっという間に12月になるように時間は過ぎ去ってしまうものだから1日1日何かしらを残していきたい。

寄稿しました

https://twitter.com/tentotentento/status/924640724548698112

携帯からなので色々いじれないのですが、上記のツイートリンクをご覧ください。
8月8日に日記を書きました。
そしてその日記を寄稿させて頂きました。
本をまとめている主宰の伊藤さんには大変お世話になったので、書くことができて嬉しかったです。
文学フリマにてご購入いただけます。
私の素直な1日を書きました。
そして様々な人の素直な1日が本を開けばあるでしょう。
主宰の伊藤さんも執筆陣の方々も素晴らしいので是非よろしくお願いします。

ハッカ味の煙

長い付き合いになる物書きの友人が私を例えた一言がタイトル。
「でも最近のブログは中身が見えつつある」と言っていました。そうだと思う。
思えば随分素直になった。泣いたら泣いたと言えるようになった感じ。
昔はどんなに目が真っ赤で腫れてても「泣いてません!」って言い張るような謎の意思があった気がする。
その変化はとても良いと言われて嬉しくなったよ。ありがとう。

今日は嫌なことがいきなりフラッシュバックして、「あれ?私どこにいるんだ?」とあたふたしてしまった。
結局数時間上の空で、専門時代の相棒に電話をしてゆっくりと現実に戻ってきた。
先日友人から着信があったので折り返しの電話をかけたのだけれど、「胸がいっぱいになって落ち着くためにかけたの」と言われて嬉しかった。
何だか気持ちが高ぶったり、胸がいっぱいになる時ってある。そういう時に一旦落ち着こう!って話す相手として選ばれるのはとても嬉しいなぁ。
その後は「この歳になってから好きなものが新たに出来るって最高に幸せだよね」とか「好きなものを共有できてそれについて話せる友達ができてよかったよ」とか後半は照れるような話をした。
恋愛小説の中で一番好きな作品に、川上弘美の「センセイの鞄」があるのだけれど、友人は先日それを再読しながら泣いたらしく、「この作品を良いと言い合える友達がいて良かった」と。私も心からそう思うよ。
そんな友人が最近ハマっているのはプロレスで、部屋には週刊プロレスが積み重なっている。良いこと。

ブログを書いていない間に何があったかって特に何もなくて。今年は夏から一気に寒くなってしまったせいか体が過眠状態になってしまって一時期とても生活に苦労したくらい。
そしてやっぱり秋冬の気圧と相性が悪いのか体調はすこぶる悪い。仕方ないのだと思う。
とりあえず自律神経がめちゃくちゃで汗がおかしいことになっているのでそれだけ落ち着いてくれないかな。

そういえば今日、フラッシュバックしてあたふたしていた時に「真正面から受け止めなくていいんだよ」と言葉を貰って。
なるほどなぁと思った。基本的に猪突猛進で真正面からぶつかることしか知らなかったので、頭に思い浮かぶ嫌なことも真正面からぶつかって解決したり消したりしてたのだけれど、なるほど。そういうやり方もあるのね。
「過去はどうしたって変わらないものだから無理に真正面から受け止めようとしなくて大丈夫だよ、辛いでしょ」と。
すごくいい事を教わった日だった。練習しようと思う。

言葉って難しい

感じていることや思っていることを言葉にして伝えるのが苦手だ。
現状で相手に対して振る舞う一番の手はこれだろうというのがまず頭に浮かぶ
しかし、実際に私の心にあるのはそれじゃない。
こう言った場合、前者を取りたくなってしまう。
しかしそうしていては分かり合えないので、何とか言葉を考えて自分の気持ちを伝えようとするのだがまるで上手くいかない。
そして一言一言をひねり出すのにすごく時間がかかってしまって、結局言い切れずに終わる。
言えなかったあれこれが心の中に沈殿していく。何してるんだか。


自分の不甲斐なさに涙が出た。
本当はやりたいことが沢山ある。
ここにきたからには、と思うことが沢山ある。
勿論やれている日だってあるが、悔しいくらいに体が思うように動かない日が多い。
与えられるだけの生活はしたくなくて。
少しでも多く、与えてもらっている分を返したくて。
今日の私は何ができていただろう、と寝る前に考えている。
こんな努力家で真面目でまっすぐに突き進む人に対して何ができているだろう、と。


自分の病気に関しても改めて色々と調べているのだけれどどうにもこうにも寛解と言うよりは付き合って生きていくパターンのようで。
前に調べた時にもわかっていたことなのに、再び殴られているような気分。
それも恐らく私の中を焦燥感でいっぱいにさせる原因なのだと思う。
いやいや、そんな悠長にしていられないんだよって。


「無理をしないで」と言われても、多少の無理をしないとできないことがある。
無理をしなくてもできることも勿論ある。
要はできる無理とできない無理を分けていくことなのだろうと思う。
いい子に休んでいたら治るものでもないし、それならばそいつの様子を伺いながらこっちができる無理をしつつやっていくしかないのだ。


とりあえずはこちらの空気に自分を慣らしていくこと。
こちらの時間に自分が馴染むこと。
心の安定をうまくはかること。
まずはお気に入りのお店を作ってみようと思う。
落ち込んでうじうじと考え続けるよりも、とりあえず出来ることを。