試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

また此処で必ず会おう

此処へ来て一ヶ月が経った。
色々とあったけれど、なんだかんだ日々を過ごしている。図太い。
「君ほど強く無いからね」と言われて、
「そうね、私は強いからね」と言い返せるようになった夏。
昨年の夏は泣いて泣いて泣いてただひたすら負けないという気持ちだけで生きた。
私は弱くて情けなくてどうしようもないなってこれでもかと味わった。
けれど今、昨年とは180度違う世界で生きている。
手放さなければならなかったものが、全てまた手の中に戻って来た。
寧ろ昨年の夏よりも多くのものが与えられている。
人生ってすごく不思議だ。
たった365日の間にこんなにも景色が変わる。
きっとこれは滅多に無い、人生でも摩訶不思議な出来事なのだろう。
生きている限りどうなるかわからないし、何事もどう転ぶかはわからないから、今この瞬間にあるものをしっかりと感じ取りたいなと思う。
この瞬間にあるものを感じ取れていたら、それは確かに実在したことで、嘘偽りない日々だったと後できちんと消化できるから。


生きている。
恐ろしいと思うほどに生きている。
生活はそういった実感を与えてくれる。


お世話になっている人は11日からお休みに入り、15日から出勤だ。つまり今日。
日常が戻ってくる。
変則的な日々は何だかぼんやりとしてしまう。
力がうまく入らないような、何処か呆けているような。
今日目が覚めたら日常が待っている。
容赦のない日常が。
私の体がどうであろうと知らぬ存ぜぬと当たり前にやってくる。
私はまたヒィヒィと日常に尻を叩かれながら生きるのだ。


この生活も今週でひとまず終わる。
私には戻ってからやるべきことがある。
やるべきことをしっかりやり遂げなければならない。
地元の夏を何も感じないままこの日まで来た。
昨年に引き続いて、今年の夏もまた一生忘れないのだろうなと思う。


最近よく聴いているのはこれ。

君にとっていつでも出来ることは私にとっては今日しかできないこと

何処かにふらりと行きたくなる。
正しくは連れ去って欲しくなる。
後先考えずに、とにかく今この場所から居なくなれるなら何でもいい。
安心できる場所は段々と怖くなってしまうから。
守られることはあまり得意じゃない。
取り敢えずあちこちぶつかって、血だらけになって、手当てもろくにせずにここまで来たから。
急に包帯を巻かれたり、大丈夫だよって言われても理解が出来ないし居場所じゃない気がしてしまう。
自分から危険に近づくことが未だにやめられないでいる。
遠く、遠くに連れ去ってほしい。
そして、ポイっと投げ捨ててほしい。
なるべくもう身動きが取れないくらいにしておいてほしい。
多分、どこかで諦めたいのだと思う。
何を?わからない。
安心は気が狂いそうになる。
怖い。


いつもの川に行ったら猫がのっしのっしと斜面を上って居た。
草と草の間からジロリとこちらを睨むもんだから、そんなに見ないでくれよって多分これはお互いの台詞。


幾つになったら素直になれるんだろう。
幾つになったら弱さを受け入れられるようになるんだろう。
幾つになったらまともな顔で笑えるようになるんだろう。
幾つになったら居場所を作れるようになるんだろう。
幾つになったら安心出来るんだろう。


子供みたいにはしゃぎまわりたい。
擦りむいて笑って追いかけっこがしたい。
夜中の公園なんかがいい。
大声で笑って名前を呼びあって走り回りたい。
やっちゃダメだよって言われることはどうしてこんなにも魅力的でしたくなるんだろう。
それをしない一線はなんて頼りない理性なんだろう。
こんなもの、捨ててしまえたらいいのに。

女盛りだからこのままじゃ終われないの

ぼーっと川を眺める。
右から流れてくる風によって水面が波打つ。
音は聞こえない。
イヤホンから音楽が流れているから。
後ろを人が通っていくけれど気にしない。
対岸の家やマンションに人の命がある。
水は穏やかで良い。
こんこんと、そこを流れているから。
誰に何を言われるわけでもなくただひっそりと流れ続けてくれる。
足の指先からそのまま沈んでしまいたくなる。
思い出したのは真冬に川へ身投げをした近所のおばさんで。
そんなのとは全く関係なく頭の中では林檎さんが女盛りをどうしようって歌ってくれている。
本当に思えば遠くに来たもんだ。
川のように流され流され、流れ着いたような気がする。私の人生。

「坊ちゃんが少しでも真人間でよかった」って10年来の友人に言われて笑ってしまった。
私の刺々しい時期からを知っている人。
私のエネルギーを、知ってくれている人。
私を「坊ちゃん」と呼んでくれる愛しい人。
インターネットを通して出会った人の中で、一番愛も熱量も逞しく強い人かもしれない。
互いに丸くなったよね、って笑った。

今日はもう書けないな。
何だかドキドキが足りない気がする。
安心できる場所にいることが下手だ。
安心して穏やかに過ごすことが下手だ。
何か不穏に手を伸ばしたくなる。
そうして傷ついてやっと生きていると感じられる気がして。
歪んでいることがたくさん見つかる。

「一度も汚いなんて思ったことないよ」

台風の影響なのか茹だるような暑さが続いている。
そんなこんなな今日(日付変わって昨日ね)、物書きの友人が入籍した。とってもおめでたい日。

先週はご飯作りをサボることなく出来て、そのまま週末は病人の看護になったので気持ちが張り詰めて疲れてしまったようだ。
今日はやけに体が重い上にお腹は空いているのに口に食べ物を運ぶことが億劫で食べることに時間がかかってしまった。
平衡感覚もおかしくて、スーパーにやっとの事行ったのだけれど完全に体が斜めに傾いていて自分で笑ってしまった。
今日はいっそ休んでしまおうと思ったのだけれど、病み上がりで仕事に行った人もいるんだからと動いたのがまずかった。
それでもちゃんとご飯が作れて良かった。


タイトルは最近言われて一番嬉しかったこと。
私の体には傷跡が沢山ある。生きる選択をし続けてきた結果とはいえ、綺麗なものではない。
母親からは体をそんなに汚くして、と言われ続けてきたので、汚いよなぁと思っていた。
最近新しい靴を買ったのだけれど、それを履いて歩いていて、「帰ってから汚さないようにね」と言われた瞬間、私はすっかり体のことだと思ったので、「汚くしてごめんね」と謝ったら、信じられないという声色で「一度も汚いなんて思ったことないよ」と言われた。
脳内に電気が走るみたいに衝撃を受けてしまった。これを汚いと思わない人がいる…?というか、何故私は生きるために残してきたものを汚いと扱ってしまったんだ?といろんな感情が一気に駆け巡った。
私本当は汚いなんて言われて傷ついていたんだと気付いた日。
汚いよねって一緒に笑ってたけど苦しかったんだなって。
だから、その一言がとても嬉しかった。


「私って生きてていいのかな」って言葉を聞いた。
生きていたらダメな人なんて居ないだろうよ。
話しを聞いてくれてありがとうと言われたけれど、ピンとこない。むしろ、話してくれてありがとうだし。
私が出来ることは相手の言葉を聞いて受け止めてその言葉に対して感じたことを打ち返す事だけだ。決して代わりにはなれないし、痛みを受け持つこともできない。
私は思ったことしか言えない。けれどその言葉を聞いて何かしらを思ってくれたのだとしたら、その人自身の生命力が逞しいということだ。
凄いのは、あなた自身なんだよ。そう思う。


明日も異常に暑いらしい。皆様お体ご自愛を。

あまりに泥臭く愛を叫ぶものだから

なんとなーくサンボマスターを聴いていたら鳥肌が立ってどうしようもなく泣いてしまったスーパーへの歩き道。
これだから山口さんの声はずるいんだよって鼻をすすった。
なんでそんなにも恥ずかしげもなく報われるかもわからない愛を歌うの。
どうしてただ懸命に投げ続けて投げ続けて、僕はここにいるって言うの。
そんなの、泣いてしまうに決まってるじゃないか。
ライブ動画を見ていても何故だか決まって泣いてしまう。サンボマスターはダメだ。
この話は専門学校の相棒とも一致している。
互いに勧めあった訳でもないのに同じ動画を同じ時期に見て泣いていた。なんなんだ。
だから、サンボマスターを聴くとあの子を思い出す。私は今日も泣いたよ。やっぱり泣いたよ。


壊れているタブレットを、他人が拳でガツンと叩いた姿を見た数日前。
今日ふと私もやりたくなって左手にタブレットを持って思いっきり右手の拳で殴ってみた。
3〜4回。タブレットの画面は「なんともありません」って顔で綺麗にそこにあって、私の拳はみるみる内出血していった。
今も腫れている。
やっぱり勝てないんだなぁって思った。
拳を握ろうとすると痛い。
なんでそんなに澄まし顔でいるんだよって内心腹がたつ。
私がサイヤ人になれたらこんなもの一発で叩き割ってやるのに。へし折ってやるのに。
私は虚弱メンヘラなのでタブレットに少しの傷も与えられやしなかった。
残ったのは、右手拳の腫れ。負けました。


先日デパコスでお化粧をしてもらった。
人生初体験。
自分に似合う色を知りたいのに、「お顔立ちがはっきりされているので何色でも似合います」と言われてしまって、いやそうじゃない!とモヤモヤしてしまった。はっきり言え。
私は何色のシャドーが似合って何色のチークが似合うのかきちんと知りたかったのだ。
してもらったメイクは青で寒色。
寒色は顔が引き締まるからいい。
下瞼のアイラインから目尻に沿って猫目に伸ばすアイメイクをしてもらったらとても可愛かった。
上瞼の延長じゃなく、下瞼からの延長なのかと勉強にもなった。プロはすごい。


目に見えないものを信じるってさ、
限りなく難しくて泣きたくなるね。
見えるものしか信じられないから、いつまでも傷跡が絶えないのだろうし。
目にしないとわからないくらい、信用することが下手だ。
今日も生きたよ。

幸せなんて歩いてこないよ

「あっ」と言う間に8月になってしまいました。
私の地元は今日梅雨明けをしました。
書かない間にいろんなことがありました。
はじめましての出会いがたくさんあったり、高級魚のどぐろをみんなでつつきあったり、丸亀製麺でしょーもないほんねをつらつらと話したり、やっとのやっとこさ会いたい人の旅の終わりで会うことができたり。


その裏では戦争でした。
日々戦争。修羅。
あまりにも修羅すぎてふとぼんやりしていると「世界平和」とか願ってしまっていたのでやばかったんだと思います。
ジョンレノンもびっくりの世界平和への祈り。


醜態を晒しました。本当にどうしようもなく醜く、救いようがなく、同情の余地のない醜態を。
落ちるところまで落ちたなと思います。
底が見えたら、蹴り上がるだけです。
私はまだ諦めたくないので蹴り上げます。
ここで、醜態を晒して生きられるほど開き直れていないので蹴り上がります。
はなまるな笑顔を見せていたいので高く高く。


もしも、もしも努力が報われるのなら、頼むよ。
私ね、本当にがんばり続けたんだ。
お前が勝手に頑張ったことだろって言われたらそれまでなんだけどさ。
体ボロボロにしながらも諦めなかったものがあるんだよ。
報いをちょうだいよ。
頑張って頑張ってもう無理ってところに更に爆撃食らってさ。もう息ができないと思ったけど私欲張りだから諦められないんだ。
手放した方が幸せになるのかなって時折思うよ。
けど、進めるところまで進みたいんだ。
だって、進みたくても進めなかった日々があるから。


体は器。
体はおまけ。
死ぬまでに酷使するもの。
この考え方も改めなきゃいけないね。
大事にするってどこからなんだろう。

愛の強さゆえ 優しき獣ゆえ

恥ずかしい話、私は今日まで魚を焼いたことがなかった。
IHではある。が、普通のコンロの魚焼きグリルを使ったことがなかった。
スーパーの初老のおじさんがホッケを売っていて、ああホッケだと手に取った。
冷凍されていたので袋に閉まって水で解凍した。
グリルを開けたり閉めたり忙しなく焼き加減をチェックした。しつこいほどに。
おかげで人生初体験ははなまる。
脂のしっかりのった美味しいホッケでした。

日付は変わってしまったけど、朝から大きな訃報を聞いてぼんやりとした。
今年リリースされたアルバムの彼の歌声は切ないほどに綺麗で、今までにないアルバムだなぁ、美しいなぁと聴いていた。
けれどもうこの歌声が響き渡ることはない。
彼の歌声は十代の私が叫びたいときに代わりに叫んでくれた。
専門学校に意識朦朧で行っていた時もイヤホン越しに彼の歌声は流れていた。
当たり前にあったものがなくなってしまったらしい。けれどどうにもまだ事実として受け止めきれない。
彼に一つだけ問うことが出来るなら、「楽になれた?」とそれだけ問いたい。

今日は驚くほどに体が動かなくて、それでも生活は容赦なく時間を運んでくるからただただ頭の中を無にして動いた。
寝ても寝ても眠い。地球の引力がいつもの倍のように感じられて重い。
体がもう少し強く逞しくなるといいのだが、もう少し時間がかかりそうだ。
今週は吐いたり動けなくなったり免疫力低下で病気になったりと色々と限界を感じる。


ブログ越しにお手紙をもらった。
いつもいつも何かと私を気にかけてくれる大切な友人だ。
昨日の夜、YUKIのプリズムのリンクがLINEで飛んできてすごく嬉しくなった。
彼女の曲の中で一番好きだから。
ブログには、私が幸せになるといいなと書かれていた。
そっくりそのまま、友人に返したい。
友人が心の底から伸びやかに生きられる場所で生きていけたらいいと思う。
私達は同じ障害を持ったなんだかおかしな関係だ。
けれど、それのなんと心強いことか。
お互い図太くなろう。幸せに臆することなく生きられたらいいね。

目の前に差し出された愛情と優しさをうまく掴めない。
本当は何よりも掴みたくて信じたくて仕方がないのに。
強がることなく、素直な気持ちがどこかしっかりと見定めながら、後悔なく歩みたい。

眠って起きたら沢山の人に会う。
ドキドキしている。大丈夫、大丈夫と念じながら眠る。