試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

チラシの裏にすら書くほどのことでも無い

https://adventar.org/calendars/2535
チラシの裏なるものに参加させていただいたので、チラシの裏につらつらとかきそうなことを書く。
とはいっても私は何かをメモすることがあまりない。
テストの用紙や教科書に落書きをすることもあまりなかったように思う。というのも、そういったものに書くものとは文字ではなくイラストだったりする。イラストが苦手な私は余った時間をいつも用紙の余白を眺めたり外を眺めることに使っていた。

さて何かテーマが必要らしいのだがこれといって本当にテーマが決まらない。
アラサーまで実家で生きて来た人間が突然実家を出て他人と生きる生活を始めて変わったことでも書こうかと思う。
まず、一番嫌なのが自炊である。本当に便利な社会なのでお金さえあればご飯は手に入る。
しかし一食分にいつも払っていると少し高くつく。
実家暮らしの上に食べ物にあまり興味がない私は料理をして来なかったので毎日毎日レシピを眺めてため息をつく。
「食べたいもの…食べたいもの……」無いのである。
正直納豆にご飯、バナナ一本で満足してしまう人間なので自炊というのは階段を踊り場まで飛び上がるくらいにハードルが高いように思う。

それに加えて掃除があるのだが掃除は実家にいる頃よりもするようになった。
自分だけが暮らしているわけでは無いのでやはり意識をするようだ。そして自分でも驚いたのだが掃除が嫌いでは無いらしい。
実家の自室をあれだけ荒らしていたのに…。
洗濯、洗い物も同様に嫌いでは無いらしくあれば即実行できる。
ゴミの分別、水場の汚れをこまめに洗う、風呂場の髪の毛を定期的に拾う、等意外と自分はマメなんだなと知ったりもしている。

とはいっても毎日それができているかといえばやはりそう上手くもいかず、持病に唸らされて休んでいることも結構ある。
そういった時に頭に浮かぶ罪悪感と自責の念といかに仲良くしていくかが課題なのだがなかなか上手くいかない。
とりあえずここ数日始めたことなのだが天気のいい日は必ず歩くコースを決めてみた。
家事ができなくても歩けたら一つでも達成したことができるので自分を許せるのでは無いかと思ったからだ。
日々、試行錯誤である。

とこんな感じでだらだら書いて来たらあっという間に1,000字なのでこれ以上ダラつかないように終えよう。

冬です。今年も終わります。
気圧も不安定、気候も不安定。
どうぞみなさまご自愛ください。
ちなみに私の年内の目標は3キロ痩せるだったのだが全く変化がない上に忘年会という幸せな時期なので痩せるのは年明けに持ち越すことをここに書き残しておく。

1人になりたいと願うのは病気でしょうか

深夜3時。携帯の充電は5%。
タイトルはカッコーの巣の上でより。

先日日記に載せた冊子を買ってくれた人達がLINEで報告してくれたりした。
自分の書いた文章が載っている冊子を人が買ってくれて、その冊子がその人の本棚に並ぶのだなと思っただけで何だかクラクラしてしまった。
テーマが日記だったので、本当にありのままのその日を書いた。
その日、数時間毎に何をしたかを淡々と文章にした。ただの日常を提出した。
何ら盛り上がりも面白さもない。ただの日記。
そのただの日記を私はあまりうまく書けないので努力したつもりだ。
素直に1日を晒すというのは難しい。
今はまたその日とはまるで違う生活をしている。
変わらないのは生きているということと、生活に追われているということだ。

何だか今夜は眠りたくない。
日付が変わっているので今日はクリニックに月に一回の電話をして処方箋を出してもらわなければならないのに。
いつも午前中に電話をして、午後に薬を受け取れるようにしている。
主治医は電話の声で私の今を判断しなければならないので大変だと思う。
薬を受け取りに行ってくれている父や母には「良くなっていますね」と笑っていたらしい。
半分当たりで半分ハズレだ。
日中の活動量は増えているが、ストレス反応が激しい。
恐らく現状を頭の中で反芻して電話をかけるので、電話でのやり取りがしっかりしている点を良くなったと思っているのだと思う。
今回は薬と共に紹介状が届く。いよいよこちらに頼る場所が欲しいので書いてもらった。
幾つか当たってみる候補も決めた。
PTSDの治療をしている場所に絞った。
その前にいくつかクリニックに話を聞いてみたのだけど、長年治療していて今の現状ならば投薬治療は頭打ちと言えると言われたからだ。
そりゃあそうだ、と素直に納得した。
私の今の主治医は発達障害丸出しの宮崎駿に似ているおじいちゃん。
11年間お世話になりました。私は次のステップに進みます。
それでも、昨年の夏には就労許可がおりそうなところまでいったのだから、二人三脚で頑張りましたよね。
私は貴方の何にもとらわれず常に新しい発見を求めていく姿が大好きでした。
地元に帰ったら顔を出します。

人と生活していて思うのだけれど、私は本当に他人と生活するのが苦手な性格なのだなということだ。
苦手というよりもストレス反応が激しくて体に何かしら不調が出てしまう。
思ったことは素直に言っていいと言われても、そもそも何を思っているのかに気づくのが遅かったり、相手の顔色を伺う癖が抜けない。
それでもだいぶ泣けるようになったし怒れるようになったし自己主張ができるようになったと思う。
他人と生活している以上「察して」は通用しないので必死に言葉を探す。自分の感情の言語化のリハビリになっているなと思う。
そもそも自分以外の人の気配が苦手で、今一緒に生活している人の気配を受け入れられるようになったのは近年だ。
何でも1人で考えるな、と言われた時に人に相談するのが苦手だということにも気づいた。
こう言った点も治療できたらいいなと思う。

泣いても怒っても焦っても日々は過ぎてあっという間に12月になるように時間は過ぎ去ってしまうものだから1日1日何かしらを残していきたい。

寄稿しました

https://twitter.com/tentotentento/status/924640724548698112

携帯からなので色々いじれないのですが、上記のツイートリンクをご覧ください。
8月8日に日記を書きました。
そしてその日記を寄稿させて頂きました。
本をまとめている主宰の伊藤さんには大変お世話になったので、書くことができて嬉しかったです。
文学フリマにてご購入いただけます。
私の素直な1日を書きました。
そして様々な人の素直な1日が本を開けばあるでしょう。
主宰の伊藤さんも執筆陣の方々も素晴らしいので是非よろしくお願いします。

ハッカ味の煙

長い付き合いになる物書きの友人が私を例えた一言がタイトル。
「でも最近のブログは中身が見えつつある」と言っていました。そうだと思う。
思えば随分素直になった。泣いたら泣いたと言えるようになった感じ。
昔はどんなに目が真っ赤で腫れてても「泣いてません!」って言い張るような謎の意思があった気がする。
その変化はとても良いと言われて嬉しくなったよ。ありがとう。

今日は嫌なことがいきなりフラッシュバックして、「あれ?私どこにいるんだ?」とあたふたしてしまった。
結局数時間上の空で、専門時代の相棒に電話をしてゆっくりと現実に戻ってきた。
先日友人から着信があったので折り返しの電話をかけたのだけれど、「胸がいっぱいになって落ち着くためにかけたの」と言われて嬉しかった。
何だか気持ちが高ぶったり、胸がいっぱいになる時ってある。そういう時に一旦落ち着こう!って話す相手として選ばれるのはとても嬉しいなぁ。
その後は「この歳になってから好きなものが新たに出来るって最高に幸せだよね」とか「好きなものを共有できてそれについて話せる友達ができてよかったよ」とか後半は照れるような話をした。
恋愛小説の中で一番好きな作品に、川上弘美の「センセイの鞄」があるのだけれど、友人は先日それを再読しながら泣いたらしく、「この作品を良いと言い合える友達がいて良かった」と。私も心からそう思うよ。
そんな友人が最近ハマっているのはプロレスで、部屋には週刊プロレスが積み重なっている。良いこと。

ブログを書いていない間に何があったかって特に何もなくて。今年は夏から一気に寒くなってしまったせいか体が過眠状態になってしまって一時期とても生活に苦労したくらい。
そしてやっぱり秋冬の気圧と相性が悪いのか体調はすこぶる悪い。仕方ないのだと思う。
とりあえず自律神経がめちゃくちゃで汗がおかしいことになっているのでそれだけ落ち着いてくれないかな。

そういえば今日、フラッシュバックしてあたふたしていた時に「真正面から受け止めなくていいんだよ」と言葉を貰って。
なるほどなぁと思った。基本的に猪突猛進で真正面からぶつかることしか知らなかったので、頭に思い浮かぶ嫌なことも真正面からぶつかって解決したり消したりしてたのだけれど、なるほど。そういうやり方もあるのね。
「過去はどうしたって変わらないものだから無理に真正面から受け止めようとしなくて大丈夫だよ、辛いでしょ」と。
すごくいい事を教わった日だった。練習しようと思う。

言葉って難しい

感じていることや思っていることを言葉にして伝えるのが苦手だ。
現状で相手に対して振る舞う一番の手はこれだろうというのがまず頭に浮かぶ
しかし、実際に私の心にあるのはそれじゃない。
こう言った場合、前者を取りたくなってしまう。
しかしそうしていては分かり合えないので、何とか言葉を考えて自分の気持ちを伝えようとするのだがまるで上手くいかない。
そして一言一言をひねり出すのにすごく時間がかかってしまって、結局言い切れずに終わる。
言えなかったあれこれが心の中に沈殿していく。何してるんだか。


自分の不甲斐なさに涙が出た。
本当はやりたいことが沢山ある。
ここにきたからには、と思うことが沢山ある。
勿論やれている日だってあるが、悔しいくらいに体が思うように動かない日が多い。
与えられるだけの生活はしたくなくて。
少しでも多く、与えてもらっている分を返したくて。
今日の私は何ができていただろう、と寝る前に考えている。
こんな努力家で真面目でまっすぐに突き進む人に対して何ができているだろう、と。


自分の病気に関しても改めて色々と調べているのだけれどどうにもこうにも寛解と言うよりは付き合って生きていくパターンのようで。
前に調べた時にもわかっていたことなのに、再び殴られているような気分。
それも恐らく私の中を焦燥感でいっぱいにさせる原因なのだと思う。
いやいや、そんな悠長にしていられないんだよって。


「無理をしないで」と言われても、多少の無理をしないとできないことがある。
無理をしなくてもできることも勿論ある。
要はできる無理とできない無理を分けていくことなのだろうと思う。
いい子に休んでいたら治るものでもないし、それならばそいつの様子を伺いながらこっちができる無理をしつつやっていくしかないのだ。


とりあえずはこちらの空気に自分を慣らしていくこと。
こちらの時間に自分が馴染むこと。
心の安定をうまくはかること。
まずはお気に入りのお店を作ってみようと思う。
落ち込んでうじうじと考え続けるよりも、とりあえず出来ることを。

秋刀魚を焼いた後はグリルをすぐに洗ってね

すっかり肌寒くなってしまった。
ついに毛布を出した。何か負けた気がする。
しかし毛布にくるまった時の言いようのない安心感は素晴らしいものがある。
ぬくぬくと、熱のこもった毛布の中でこのまま微睡んでいたい…と願ってしまう。
そういったことを考えて行くと結論としては猫が理想だなぁと思う。

こちらで生活を始めてから何かとお世話になっているのが幼馴染2人と私を含めた3人のLINEグループである。
住んでいる場所がバラバラでも、生活をする上でどうしようと思うことはそんなに変わらないようだ。
特に夕食何にする?とか、パートナーはこういう時に助けてくれる?とか、とにかく生活に根付いたものばかりだ。
今日、幼馴染の1人は港で釣りをして夕食をゲットしていたし、もう1人の幼馴染はお腹が空いたのに何もしたくないと夕食前にゴネていた。
有難いのが、ゴネる場所があるということだ。
何もしたくねー!!!!と1人が抱え込むより、誰かが目を通してくれる場所に書くとそれだけで少しだけやる気になれる。
2人も頑張ってるからね、頑張るよ。って背中を押されている。
ただ、幼馴染2人は家事にプラスして育児をしているので無理をしないでいてほしいなぁと思う。

今日は気圧が低かったので驚くほど眠かった。
昨日一通りの野菜を買い込んでおいて良かった。
そんな今日の夕食には秋刀魚を焼いた。
上記の幼馴染2人が昨日の夕食に秋刀魚を焼いていたので真似をしたのだ。献立を考えずに済んで非常に楽だった。
集中力がなかなか戻っていないので本も読めないし、映像作品も心しないと見られない。
しかしどんどん言葉が頭から抜け落ちている事を実感するのでせめて日記だけは毎日とは言わなくても書こうと思った。

知らなかったな

付き合いが10年になる友人と久々に通話をした。
彼女はいつも私のことを気にかけてくれていて、何かしら良いことを教えてくれる。
彼女の話を聞いていると心がワクワクするし、本当にそうだなぁと納得することが多い。
そして自分の中の疑問や肌で感じたことを打ち明けるとわかってくれるのでとても有難い。

こっちに来て痛感することとして、「地元は生活が豊かだ」ということがある。
四季は木々や花や食卓が当たり前に教えてくれて、緑は当たり前のように目に入る。
自然が溢れんばかりに豊かで、遠い遠い場所の工事の音が呑気に響いてくる。
何を豊かというかによるけれど、私の価値観ではそう言った生活が何よりも豊かだと思う。
こっちは、驚くほどに音が多い。聴覚過敏の私は人混みに出るたびにフラフラしてしまう。
そして何より、季節を探さなければならない。
季節を探す、という行為自体おかしなものだと思ってしまう。
季節は当たり前に訪れて、注がれるものだと信じ切った生活をしていたから。
緑は人工的に整備されていて、咲いているというよりは咲くことを義務付けられているようだ。
地元はなんて贅沢な町なのだろう、と日々思う。
朝には新鮮な野菜を農家が売りにくる。地産地消が出来る。
田んぼの稲は豊かに風に揺られながら色を変えていく。
川には山の緑が反射して、とても美しい。
空気が循環していることもはっきりわかる。

そんな話をしたら、「そうだよ、すごくいい所に住んでいたんだよ」と東京生まれ東京育ちの彼女は教えてくれた。
彼女は何れ都市計画に携わりたいという。
緑を街に返したいと言っていてとても素敵だと思ったし、人工物に溢れかえったこの街に緑が溢れたらどれだけ人の心が和らぐだろうと思う。
勉強熱心な彼女はきっと都市計画に携わるだろう。そして素敵な街を作り出す。そう信じている。

根っからの自然育ちは、自然に触れていないと心が弱ってくるようだ。
人工物の匂いのしない、堂々とそこにある自然に触れたい。