試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

1人になりたいと願うのは病気でしょうか

深夜3時。携帯の充電は5%。
タイトルはカッコーの巣の上でより。

先日日記に載せた冊子を買ってくれた人達がLINEで報告してくれたりした。
自分の書いた文章が載っている冊子を人が買ってくれて、その冊子がその人の本棚に並ぶのだなと思っただけで何だかクラクラしてしまった。
テーマが日記だったので、本当にありのままのその日を書いた。
その日、数時間毎に何をしたかを淡々と文章にした。ただの日常を提出した。
何ら盛り上がりも面白さもない。ただの日記。
そのただの日記を私はあまりうまく書けないので努力したつもりだ。
素直に1日を晒すというのは難しい。
今はまたその日とはまるで違う生活をしている。
変わらないのは生きているということと、生活に追われているということだ。

何だか今夜は眠りたくない。
日付が変わっているので今日はクリニックに月に一回の電話をして処方箋を出してもらわなければならないのに。
いつも午前中に電話をして、午後に薬を受け取れるようにしている。
主治医は電話の声で私の今を判断しなければならないので大変だと思う。
薬を受け取りに行ってくれている父や母には「良くなっていますね」と笑っていたらしい。
半分当たりで半分ハズレだ。
日中の活動量は増えているが、ストレス反応が激しい。
恐らく現状を頭の中で反芻して電話をかけるので、電話でのやり取りがしっかりしている点を良くなったと思っているのだと思う。
今回は薬と共に紹介状が届く。いよいよこちらに頼る場所が欲しいので書いてもらった。
幾つか当たってみる候補も決めた。
PTSDの治療をしている場所に絞った。
その前にいくつかクリニックに話を聞いてみたのだけど、長年治療していて今の現状ならば投薬治療は頭打ちと言えると言われたからだ。
そりゃあそうだ、と素直に納得した。
私の今の主治医は発達障害丸出しの宮崎駿に似ているおじいちゃん。
11年間お世話になりました。私は次のステップに進みます。
それでも、昨年の夏には就労許可がおりそうなところまでいったのだから、二人三脚で頑張りましたよね。
私は貴方の何にもとらわれず常に新しい発見を求めていく姿が大好きでした。
地元に帰ったら顔を出します。

人と生活していて思うのだけれど、私は本当に他人と生活するのが苦手な性格なのだなということだ。
苦手というよりもストレス反応が激しくて体に何かしら不調が出てしまう。
思ったことは素直に言っていいと言われても、そもそも何を思っているのかに気づくのが遅かったり、相手の顔色を伺う癖が抜けない。
それでもだいぶ泣けるようになったし怒れるようになったし自己主張ができるようになったと思う。
他人と生活している以上「察して」は通用しないので必死に言葉を探す。自分の感情の言語化のリハビリになっているなと思う。
そもそも自分以外の人の気配が苦手で、今一緒に生活している人の気配を受け入れられるようになったのは近年だ。
何でも1人で考えるな、と言われた時に人に相談するのが苦手だということにも気づいた。
こう言った点も治療できたらいいなと思う。

泣いても怒っても焦っても日々は過ぎてあっという間に12月になるように時間は過ぎ去ってしまうものだから1日1日何かしらを残していきたい。