試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

エポニーヌに泣いているうちは私はダメなんだ

タイトルはふと思った事なので特に深い意味はないです。
コゼットになりに行こうとしなければなんの意味もないのだろうと、ふと車を運転していて思いました。
いや、エポニーヌの選択も一つの選択なのだけれど。
Les Misérablesの話なので是非どうぞ。
ちなみに日本人はエポニーヌに肩入れしがちだそうですね。自己犠牲愛が好きなのでしょう。
そんな私もエポニーヌに一番泣いた人間です。
けど、恐らく、それじゃあダメなんだ。少なくとも私はダメなんだ。

昔のインターネットで何してた?って話を友人としまして。友人はグロ画像やら動画から何からアングラなものを漁っていたそうで。
そこで今でも辛いのはPOSOというので何かと聞いたのです。
私は今日までその動画の存在すら知らなくて。と言うのも、私はグロ画像関係には一切ノータッチで歩んできたからなのですが。
観るならwikiに詳細が載ってるからそれを読んだらいいと言われたので読んだら宗教戦争、ポソ戦争のことで。
インドネシアムスリムキリスト教徒の抗争が勃発したことから始まった戦争のことでした。
wikiを一通り読んでから私の意思で編集されてしまった6分弱の動画を観たのですが、人間って狂ってるなと思いました。
本当に気が狂ってる。信仰はどこに行った。
これだから嫌いなんだよって改めて人間嫌いを加速させました。
友人が口癖のようにいう「無我になりたい」に何となく触れられた気がしました。
人間はあと何回こんな不毛なことを繰り返したら満足するんでしょうね。満足する日は無いんでしょうね。欲は常にそこにあるものだから。

今月で私のトラウマから一年が経ちます。
相変わらず夢を見ます。大抵同じことを繰り返しています。
バリエーションはあれど結末はいつだって同じです。
このところ特によくその頃の夢を見ます。
時期が時期だからでしょうね。
当時の荷物をようやく手に入れました。隠されていたので。
懐かしさで満ち溢れていました。
必死で仕方なかった自分がいました。
しかし、あまりの荷物の少なさにこんなしか置いておかなかったんだなって可笑しくなりました。
いつだって別れが怖かったんだなぁって今なら自分の気持ちがわかります。
図々しく当時履いていたスリッパを使うことにしました。
当時必死になって書き留めていた気持ちの部分はバッサリと破り捨ててノートも使おうと思います。
他にも使えるものが山ほどありました。私は、図太いのです。

そう、最近気付いたのですが私本当に図太いのだと思います。
メンタルも決して弱くは無いみたいです。寧ろ強い方みたいです。
そんなことに気づいた最近ですが、遂に6月ですね。私は6月も嫌いなので乗り切るのに必死になると思います。
そういえば専門時代の相棒と久々に通話をして近況報告をし合いました。
価値観の合う友人というのはありがたいですね。
そんなこんなで、あとは眠りを待つだけです。おやすみなさい。