試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

大好きだけどとことんクズだったね

祖父は中国で捕虜になって帰国して、教え込まれたことと現実の差についていけずに毒薬を飲んだ。顔が歪みはしたが生き残った。
そして私の祖母と結婚し、自分の寿司屋を持つも失踪。ある寺で倒れているところを保護された。持っていたのは娘の写真一枚。
寺に精進料理を作る料理人として数年いたらしい。そして仙台に移った。
その間に祖母はしっかりと離婚している。
そこでおばちゃんと出会う。2人目の妻だ。
祖父は所謂ヒモになった。おばちゃんはキオスクのおばちゃんとして稼ぎながらクズな旦那を愛した。
祖父は愛人もいた。夜の店をやっている女性から金を出してもらい自分の寿司屋を再び持った。今度は寿司屋の大将として弟子もいた。
そんなある日祖父の母が死に、葬式に出るために実家に帰って来たところで私に会う。
当時私一歳半。祖父が失踪した当時の母の年齢と同じだ。そして私と母は似ている。
それから祖父は人が変わったかのように妻には内緒で地元にやって来た。私に会うために。
母と私が被って仕方なかったのだと今は思う。
そして我が家の敷地も跨いだ。跨がせた祖母を私は本当にすごい人だと思う。
私は祖父の膝の上に座っていた記憶しかない。顔も歪んでいたのだろうけれどニコニコ笑う優しいおじさんという記憶しかない。
あれが私の祖父だったと知らされたのは祖父が死んでからだ。
祖父の最後は呆気なかった。急性白血病でころりと死んだ。娘に看取られながら。
クズな人生を生きた人の最後にしては幸せすぎたと思う。
そんな祖父はヤのつく稼業の人に慕われる性格だった。一度出前が来たのでいざ届けたら金を払わないと言い出し、祖父がブチ切れて事務所に乗り込んだ。
そこで思いっきり啖呵を切って言い負かしてからやたらと親しくなってしまったそうだ。
祖父は見栄っ張りな人だった。本当は弱い人だったが、人前ではいつだって強気に見せた。
馬鹿な人だったのだ。本当に弱く情けない馬鹿な人だったのだ。
私には戸籍上祖父はいない。けれど、こんなクズでどうしようもなかった人を私は祖父として認識している。血は繋がっているから。
皇室の前で包丁式までやった立派な職人でもあったが、ただどうしても人としてクズだった。

だから私は見栄っ張りが嫌いだ。祖父を思い出すからだ。見栄っ張りはとにかく人に迷惑しかかけない。素直が一番いい。
だけど私自身見栄っ張りだ。馬鹿なのだ。その見栄というのは健康的な意味で強がるという意味だけれど。本当に困ったものである。そんな自分も大嫌いだ。

何故祖父のことまで書いたのだろう。暇だったからというのもあるけれど、取り敢えず書き残しておきたかった。
こんなにもクズでどうしようもない祖父を私はやはり嫌いになれず、ああもう情けないと思いながらあの日の膝の上のぬくもりを思い出してはにんまりしてしまうのだ。