試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

私の好き

http://ho-nya.hatenablog.com/entry/20180317/1521218818
フォロワーさんのフォロワーさんというもはや全く関係ないと言ってもいい繋がりから素敵なブログだなって思っちゃったので私も飛び込む。

朱です。
私のアンサー。

私は兄2人の末っ子長女。
新潟のそれなりに雪深いところで初夏に生まれました。
だからなのか好きな季節はやっぱり初夏。
緑が真緑じゃなくでまだやわらかな緑で、光もキラキラしているから。それに気温も程よいし。

小学一年生の頃から図書館が大好き。
当時一冊に一個、ぺたんと押してもらえるスタンプがあって、一回に5冊までしか借りられないから毎日読んで翌日には5冊借りてぺたんぺたんとしてもらっていたよ。
スタンプカードはAから始まってFくらいで終わるんだけど一巡すると表彰されて一年間図書館の中に写真が飾られる。
その写真の中に何度かいたことがあるくらい、図書館が好きで、図書館のおかげで本が今でも好き。

あと小学生の頃から水泳の授業で自由時間になると、プールの端っこの誰の邪魔にもならないところでプールの底に座って水面を見あげるのが好きだった。
だから今でも水面のキラキラした瞬間がたまらなく好きであの時見上げていた感覚に体を包まれたくなる。
池とか川とか海とか水辺が好きみたいって気付いたのは二十歳を過ぎてから。意外と遅かった。

物心ついた時にはちょっと人よりも心が傷つく環境で育っているから、人付き合いがあまり得意ではないのだけれど、それでも人が持つ強さや可能性がとても好き。
最近もグレイテストショーマンの「This Is Me」を聞いて嗚咽しながら泣いてしまったの。
そうそう、この映画はミュージカルなのだけれど音楽もとっても好き。
専門学校の帰りに頭に詰め込まれた知識にボヤボヤしながら1時間半かかるライブハウスに通っちゃってたくらい音楽が好き。

あと、ちょっと変わってるのかもしれないけど病院が好き。心が落ち込むと病院に行って誰かの家族みたいな顔をしながら患者さんの中に潜り込むの。
そこで点滴をぶら下げながら新聞を読んでるおじいちゃんなんかと少し話すと元気になったりしてる。
でもこれは田舎の病院だったからできたことなのかもしれない。
病院って常に死という避けては通れないものと隣り合わせで、そこにいる人たちは驚くほど素直にそれと共存していて、そんな静けさに心がホッとするの。大切な時間があった気がする。

まだまだ好きなものを語りたいけど長ったらしくなってもいけないからここまでにしよう。
素敵なブログを見つけられてとっても幸せでした。
アンサーを送ったサチコさん、ありがとう。
ちなみにサチコさんのはこれよ。
http://sachico8m.hatenadiary.jp/entry/2018/03/17/022414

気付いたらひと月飛び越えてた

書いていないうちに3月が来てしまった。
2月を思いっきりすっ飛ばした。
2月…何をしていた…?とりあえず必死だった。
ストレスから不正出血を起こしたりもしたけれどまあ生きてるのだからストレス反応は起きる。

そうだ、2月は次兄が私の住む土地に来た。
向こうは仕事でこちらに来たのだ。
家族で第1号。駅前で待ち合わせをして、ベローチェに行った。
長年一緒に住んで来た家族と駅前で待ち合わせてコーヒーを飲むというのはなんだかとても変な感覚で二人で笑ってしまった。
家の情報は比較的頻繁に聞いているので、次兄から聞いて驚いたことはあまりなかったように思う。

私が夏から崩れるまいと立ってきたこの土地に、次兄がいる。

それだけで胸がいっぱいになって、本当は少し泣きそうだった。
次兄とは一番辛い時にドライブなどで遠出をした仲だったから。
この薬局では抵抗力が落ちた時に薬を買ったんだ、このスーパーは野菜が一番安い、あっちにあるラーメン屋がすごく好きなんだ、この内科のおじいちゃんは口は悪いけどいい先生なんだ…伝えたいことが山ほどあった。
けれどただぐっと押さえ込んで飲み込んだ。
飲み込んだ代わりに、私が生活している部屋に招待することにした。

「うち、くる?」と四文字で喜びを伝えたら次兄は遠慮と驚きで戸惑っていた。
おいでよ、と笑った。
何にも知らない土地だったこの街の駅とマンションをすでに何度行き来しただろう。
けれど今隣に次兄がいる。それが何度考えてもおかしくておかしくて。
さらに不思議だったのが、隣に次兄がいると何処にいたって兄弟の空間になってしまうんだなぁということ。
部屋について、次兄はカーテンを開けたり閉めたり、トイレの扉を開けてみたり、本当に落ち着きがなかった。
「話で聞くより狭いな」
「よくここで二人で過ごしているな」
次兄は、この部屋のゲスト第1号でもあった。
あなたの妹は昨年の夏からここでヒィヒィ言いながらも何とかやってますよ、と一緒に笑ってお茶を飲んだ。
時間が来て、次兄を駅まで見送った。秋葉原に行くと言っていた。
私は兄弟が大好きだ。




その数日後にはtwitterで知り合って8年くらいの友人と野毛で飲んだ。
野毛、最高の街である。

立ち飲みをしていたら他のお客さんから「君たちはなんの知り合い?」と聞かれたので、
twitterで友達になって5年以上ですね〜」
と答えたら「今はそんな時代か!」と驚かれて笑った。
今はそんな時代になったのか?今はそんな時代になったのだと言えるだけ、関係が続いていることに感謝した。
野毛という街がとても好きになった日だった。

気圧の上下が激しくて頭痛薬が手放せない日々。
花粉症の方々はティッシュが手放せないだろう。
寒暖差激しい今の時期、ゆるゆるやりましょう。

前回の続き


部屋にて私の青春が発掘された。


大好きな温泉に向かう途中で何気なく寄ったラーメン屋さん。お年寄り夫婦で経営されていた。味は優しく美味しかった。ここは餃子が有名らしく、テレビにも出たことがあるらしい。
噂の餃子は本当に美味しかった。


愛知から友人が駆けつけたので3人でぽんしゅ館を楽しんだ。飲んだことのない日本酒を選べばいいのに最初の一杯と最後の一杯はどうしても好きな日本酒を飲んでしまう。


ラーメン多くないですか?ってそろそろ言われそうですね。これが私の知っているラーメン。
生姜醤油のラーメン。今まで当たり前で気づかなかったのですが、県外のラーメンを食べてから久々に食べたら生姜醤油の意味を知ることができました。本当に生姜の後味強いんだ!!


帰省して最後に食べたのは父がコトコトと火を入れ続けてくれたあんこで食べたお餅。
甘すぎなくて優しい味でペロリと食べてしまった。数年前からあんこは父の役目となった。
今年も美味しかったよ。ご馳走様でした。


帰る数日前からブン太は抱っこをさせてくれるようになった。
ブン太もう成犬なのであまり抱っこをせがんでこなくなっているが、それでも抱っこさせてくれた。帰る日も抱っこをさせてくれた。
柴の成犬。10キロ以上の重みが愛しい。
また抱きしめさせてね。



帰ってきた私を喜ばせてくれた2冊。
どちらから読もうかニヤニヤしてしまう。
まだ本を読むほどの集中力が戻っていないのでちまちまと読み進めようと思う。
私はこのお二人が大好きです。


というわけで、戻ってきました。
ただいま。

言葉にして残すにはあまりにも曖昧だ


地元の青空は控えめに現れる。


義姉の撮る甥っ子は最高に可愛い。


地元では有名なラーメン屋さんでラーメンを食べた。義姉の故郷。そして大切な恩人2人が今住んでいる街。とても美味しかった。


雪景色を見て、帰ってきたんだと思った。


12日から帰省している。
猛烈な大寒波と共に帰省をしたので早々に体調を崩した。
半年ぶりに会った家族は「お前は変わった」と口々に言うが、それが逆にプレッシャーで変わった私でいなければならない気がしてしまう。
なので家族と顔を合わせているときは変に元気な顔をしている。
こう言うところは何一つ変わっていない。

主治医に会ってきた。
この半年間の生活と状態をゆっくりきちんと伝えられて良かった。
電話と会うのとでは全然違う。
「今は精力的に動く時ではない」と珍しく指導が入った。
主治医がハッキリと生活に言及してくることは少ないので少し驚いた。
かかりつけ薬局の皆さんは私が入るなりワイワイと集まって会っていない間にあったことを話してくれた。
「たまには帰ってきてね」と見送られてなんだか笑ってしまった。薬局に来なくなることが一番いいはずなのだが。
私はすっかり引っ越したことになっているようだが、住民票も何も移していない。
まだ私はここの人間なのだけれど、おかしいね。

半年ぶりの地元は小さな変化はあれど私がずっと生きてきた場所として変わりなく、まあそんなもんだよなぁという具合だ。
たった半年なのだから当たり前だ。
とりあえずまたあちらに行くまでにやることとして、地元のラーメンを食べる、蕎麦を食べる、大好きな温泉に行く、甥っ子を毎日撫でるがあるので一つ一つクリアしよう。

半年ぶりに会った甥っ子は完全に距離感を忘れて戸惑っているけれど、撫でさせてくれるので優しいなぁと思う。
戻るまでにもう一度抱っこがしたい。抱っこが無理ならせめてブラッシングがしたい。
臆病で距離感に敏感な甥っ子。小屋から出てきてくれているだけで満点なのだが望んでしまう。ごめんね。

日付変わって今日は人に会う。
良い時間となりますように。

チラシの裏にすら書くほどのことでも無い

https://adventar.org/calendars/2535
チラシの裏なるものに参加させていただいたので、チラシの裏につらつらとかきそうなことを書く。
とはいっても私は何かをメモすることがあまりない。
テストの用紙や教科書に落書きをすることもあまりなかったように思う。というのも、そういったものに書くものとは文字ではなくイラストだったりする。イラストが苦手な私は余った時間をいつも用紙の余白を眺めたり外を眺めることに使っていた。

さて何かテーマが必要らしいのだがこれといって本当にテーマが決まらない。
アラサーまで実家で生きて来た人間が突然実家を出て他人と生きる生活を始めて変わったことでも書こうかと思う。
まず、一番嫌なのが自炊である。本当に便利な社会なのでお金さえあればご飯は手に入る。
しかし一食分にいつも払っていると少し高くつく。
実家暮らしの上に食べ物にあまり興味がない私は料理をして来なかったので毎日毎日レシピを眺めてため息をつく。
「食べたいもの…食べたいもの……」無いのである。
正直納豆にご飯、バナナ一本で満足してしまう人間なので自炊というのは階段を踊り場まで飛び上がるくらいにハードルが高いように思う。

それに加えて掃除があるのだが掃除は実家にいる頃よりもするようになった。
自分だけが暮らしているわけでは無いのでやはり意識をするようだ。そして自分でも驚いたのだが掃除が嫌いでは無いらしい。
実家の自室をあれだけ荒らしていたのに…。
洗濯、洗い物も同様に嫌いでは無いらしくあれば即実行できる。
ゴミの分別、水場の汚れをこまめに洗う、風呂場の髪の毛を定期的に拾う、等意外と自分はマメなんだなと知ったりもしている。

とはいっても毎日それができているかといえばやはりそう上手くもいかず、持病に唸らされて休んでいることも結構ある。
そういった時に頭に浮かぶ罪悪感と自責の念といかに仲良くしていくかが課題なのだがなかなか上手くいかない。
とりあえずここ数日始めたことなのだが天気のいい日は必ず歩くコースを決めてみた。
家事ができなくても歩けたら一つでも達成したことができるので自分を許せるのでは無いかと思ったからだ。
日々、試行錯誤である。

とこんな感じでだらだら書いて来たらあっという間に1,000字なのでこれ以上ダラつかないように終えよう。

冬です。今年も終わります。
気圧も不安定、気候も不安定。
どうぞみなさまご自愛ください。
ちなみに私の年内の目標は3キロ痩せるだったのだが全く変化がない上に忘年会という幸せな時期なので痩せるのは年明けに持ち越すことをここに書き残しておく。

1人になりたいと願うのは病気でしょうか

深夜3時。携帯の充電は5%。
タイトルはカッコーの巣の上でより。

先日日記に載せた冊子を買ってくれた人達がLINEで報告してくれたりした。
自分の書いた文章が載っている冊子を人が買ってくれて、その冊子がその人の本棚に並ぶのだなと思っただけで何だかクラクラしてしまった。
テーマが日記だったので、本当にありのままのその日を書いた。
その日、数時間毎に何をしたかを淡々と文章にした。ただの日常を提出した。
何ら盛り上がりも面白さもない。ただの日記。
そのただの日記を私はあまりうまく書けないので努力したつもりだ。
素直に1日を晒すというのは難しい。
今はまたその日とはまるで違う生活をしている。
変わらないのは生きているということと、生活に追われているということだ。

何だか今夜は眠りたくない。
日付が変わっているので今日はクリニックに月に一回の電話をして処方箋を出してもらわなければならないのに。
いつも午前中に電話をして、午後に薬を受け取れるようにしている。
主治医は電話の声で私の今を判断しなければならないので大変だと思う。
薬を受け取りに行ってくれている父や母には「良くなっていますね」と笑っていたらしい。
半分当たりで半分ハズレだ。
日中の活動量は増えているが、ストレス反応が激しい。
恐らく現状を頭の中で反芻して電話をかけるので、電話でのやり取りがしっかりしている点を良くなったと思っているのだと思う。
今回は薬と共に紹介状が届く。いよいよこちらに頼る場所が欲しいので書いてもらった。
幾つか当たってみる候補も決めた。
PTSDの治療をしている場所に絞った。
その前にいくつかクリニックに話を聞いてみたのだけど、長年治療していて今の現状ならば投薬治療は頭打ちと言えると言われたからだ。
そりゃあそうだ、と素直に納得した。
私の今の主治医は発達障害丸出しの宮崎駿に似ているおじいちゃん。
11年間お世話になりました。私は次のステップに進みます。
それでも、昨年の夏には就労許可がおりそうなところまでいったのだから、二人三脚で頑張りましたよね。
私は貴方の何にもとらわれず常に新しい発見を求めていく姿が大好きでした。
地元に帰ったら顔を出します。

人と生活していて思うのだけれど、私は本当に他人と生活するのが苦手な性格なのだなということだ。
苦手というよりもストレス反応が激しくて体に何かしら不調が出てしまう。
思ったことは素直に言っていいと言われても、そもそも何を思っているのかに気づくのが遅かったり、相手の顔色を伺う癖が抜けない。
それでもだいぶ泣けるようになったし怒れるようになったし自己主張ができるようになったと思う。
他人と生活している以上「察して」は通用しないので必死に言葉を探す。自分の感情の言語化のリハビリになっているなと思う。
そもそも自分以外の人の気配が苦手で、今一緒に生活している人の気配を受け入れられるようになったのは近年だ。
何でも1人で考えるな、と言われた時に人に相談するのが苦手だということにも気づいた。
こう言った点も治療できたらいいなと思う。

泣いても怒っても焦っても日々は過ぎてあっという間に12月になるように時間は過ぎ去ってしまうものだから1日1日何かしらを残していきたい。

寄稿しました

https://twitter.com/tentotentento/status/924640724548698112

携帯からなので色々いじれないのですが、上記のツイートリンクをご覧ください。
8月8日に日記を書きました。
そしてその日記を寄稿させて頂きました。
本をまとめている主宰の伊藤さんには大変お世話になったので、書くことができて嬉しかったです。
文学フリマにてご購入いただけます。
私の素直な1日を書きました。
そして様々な人の素直な1日が本を開けばあるでしょう。
主宰の伊藤さんも執筆陣の方々も素晴らしいので是非よろしくお願いします。