試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

よいよい

私がこっちに来てから身につけたことの一つに、鬱状態との共存がある。
クリニックは変えてないので医師に会えるわけでもない。
家族が家事をしてくれるわけでもない。
家事の進行は私にかかっている。
どうにかこうにか動けないものかと考えてひねり出した答えが、そのまま受け入れるだった。

体が重くて地球の引力が強すぎるんじゃないかと言う日でも溜まっていたら洗濯物は干さなければならない。
「はい!だめ!!今日はだめでーす!!だめですよー!!」と言いながら干す。
吐き気が強まって来て胃薬を飲みながらも何とか食べ物を口にしている時は、「絶対にお前を倒すからな!」と口にしている。
夕食を作っている時が一番顕著で、「圧倒的に負けないと言う強い気持ち」でお米を研ぎ始める。そして次に味噌汁を作る。主菜を作ることから逃げられないように自分をじわじわ追い詰める。

本当にもうどうしようもない日は「だめなんだよねー、だめだねぇ。どーにもこーにもだめだねぇ。わかるわかる。だめなんだよねー。よよいのよいっ!」とか口に出している。
もちろん部屋の中は1人だ。完全に頭がおかしい。でもまぁ頭の病気だから許してほしい。
本当にもうどうしようもない時は携帯も見られないし、テレビなんて論外なので、手負いの獣のようにひたすらベッドの中に潜る。じっと堪えて少しの光を待つ。

私はこっちに来てから、ダメな自分を笑えるようになった。
あらー、こんなにダメなのねぇって自分に言えるようになった。
だからと言ってまだ頼ると言う癖はつかなくて出来ない時は相手に謝り倒すのだけれど、自分のダメさを笑える日も出来るようになった。
正直、笑ってなきゃやってられないのだ。
私のメンタルをコントロールできるのは、こっちにいる限り自分だけだから。
次の課題は、一緒に住んでいる人に頼るということです。地道に行きます。


辛いことを、辛いと口にできる人は素晴らしいと思う。ツイートでも何でも。
私は躊躇うので、凄いなぁと思う。
私も素直に辛いが言えるようになりたい。

最近は寝るのが絶望的に下手

今日は起きてすぐにダメな日だと悟った。
今日でこちらに来てからまる1週間だったのだけれど、ついにダメな日がきたな、と。
前兆はあった。寧ろ毎日がダメになりかけだったのをごまかしごまかしやっていた。
が、今日はダメだとすんなり受け入れられたので、「今日はダメです」とLINEをいれた。

ダメな日だとは言っても晴れているし、結局何もしない自分にストレスを溜めることを学習したので、今日は少し自分のために動いてみようと思った。
スタバの新しいやつを飲んだ。ゼリー状のものが入っていて美味しかった。
けれどスタバは1人で来てもなんだか味気なくてみんな忙しないし此処は違うなぁとズルズル急いで飲んで出た。
歩いているうちにいつも使わないスーパーの価格が気になってあちこちした。
このスーパーはこの野菜が安い、こっちはこれが安いがあって非常に面白くなってしまい、最終的にダメですとLINEを送ったくせにしっかりと夕食の買い物を済ませて帰宅してしまった。
今日一番の収穫は青森県産のにんにく一玉108円だと思う。これは!素晴らしいこと!

私はいつも18時になるとお米を炊く。
そしてゆるゆると夕食の準備を始めるので食べるのは19時前になる。
1人で黙々と食べる。これには最初慣れなかったけれど今では随分慣れた。
今でも慣れないことは夕食後の1人の時間だ。
今はちょうどバレーボールをやっているのでバレーボールを観ている。
家で一切観ていなかったテレビが此処に来てほんの少し活躍している。

そうそう、キャビンというホラー映画を観たのですが個人的にはすごく好きでした。
純粋にただ恐怖を楽しみたい人にはオススメしませんが、此処まで詰め込んでやりたい放題みたいなのは観ていて気持ちがいいです。

最近は本気で痩せたいです。

でもビールが美味しいです。

生活が始まった

再び生活が始まった。
今回はテレビを持ってきたがバレーボールを眺めるぐらいにしか使っていない。
長時間映像が見られないのだ。
本を読む気力もないので、ぽつぽつと目につく家事をこなしている。

離人感が出ているので、ぼんやりとした感覚で過ごしている。
スーパーに行っても、料理をしていてもぼんやりしている。
ここで何をしているんだっけ。
そんな感覚。

恐らく、メンタルの調子がすこぶる悪い。
今はこの波に耐えるしかない。
思ったことは言わなければ生き残れない。
思ったことを伝えるのが苦手だ。
これを克服しないと私は悪化する。
課題をきちんとクリアしたい。

達成感を取り戻したい。

時間が緩やかに穏やかに進んでいた。

実家に戻って1週間、ひたすら体調不良に襲われた。
それでも1ヶ月間食べられなかった枝豆とスイカとメロンをがっつり食べた。
田舎のいいところは旬のものを手頃な価格で農家の人が直に売りに来る所だと思う。
不恰好なキュウリだって、味は悪くない。
枝豆は束になって売られる。
茄子だってゴロゴロ入っている。
ああ、田舎は野菜の天国。ありがとう。

帰ってきてからとにかく犬に触った。
忘れられて居ないか心配だったのだけれど、犬は私が居なかったことなど知らなかったかのようにぐるぐるとくっついて回った。
膝の上にどかりと座り込んでは撫でてとせがんできたのでたくさん撫でたし抱きしめた。
動画をたくさん撮った。
可愛い可愛いと沢山口にした。

1ヶ月間、たった1ヶ月間。
けれど稲穂は黄色く染まり始めたし、エアコンは入れなくても過ごせるようになったし、陽が落ちるのがとても早くなったし、夜には秋の虫が鳴いている。
そういえば、虫の音を聞きながら眠るのも1ヶ月ぶりだった。
兄達はドラクエにハマっていたし、気付いたらカジノでコインをひたすら貯めていた。
もう、カジノまで来ていた。

帰ってきて思ったことは、やっぱりここはいい所だなぁということ。
家は時にうるさいけれど、笑い声が絶えなくて寂しくないなということ。
食事を作らなくても食べられることは幸せだということ。
年寄りが賑やかで元気だなということ。
主治医は相変わらず私の言ってることがあまりわかってないなということ。
とにかく、楽しかった。

どうしようもない時ほど、笑える人間でありたいなと思う最近です。


帰ってきて体調が悪かった時の。

また此処で必ず会おう

此処へ来て一ヶ月が経った。
色々とあったけれど、なんだかんだ日々を過ごしている。図太い。
「君ほど強く無いからね」と言われて、
「そうね、私は強いからね」と言い返せるようになった夏。
昨年の夏は泣いて泣いて泣いてただひたすら負けないという気持ちだけで生きた。
私は弱くて情けなくてどうしようもないなってこれでもかと味わった。
けれど今、昨年とは180度違う世界で生きている。
手放さなければならなかったものが、全てまた手の中に戻って来た。
寧ろ昨年の夏よりも多くのものが与えられている。
人生ってすごく不思議だ。
たった365日の間にこんなにも景色が変わる。
きっとこれは滅多に無い、人生でも摩訶不思議な出来事なのだろう。
生きている限りどうなるかわからないし、何事もどう転ぶかはわからないから、今この瞬間にあるものをしっかりと感じ取りたいなと思う。
この瞬間にあるものを感じ取れていたら、それは確かに実在したことで、嘘偽りない日々だったと後できちんと消化できるから。


生きている。
恐ろしいと思うほどに生きている。
生活はそういった実感を与えてくれる。


お世話になっている人は11日からお休みに入り、15日から出勤だ。つまり今日。
日常が戻ってくる。
変則的な日々は何だかぼんやりとしてしまう。
力がうまく入らないような、何処か呆けているような。
今日目が覚めたら日常が待っている。
容赦のない日常が。
私の体がどうであろうと知らぬ存ぜぬと当たり前にやってくる。
私はまたヒィヒィと日常に尻を叩かれながら生きるのだ。


この生活も今週でひとまず終わる。
私には戻ってからやるべきことがある。
やるべきことをしっかりやり遂げなければならない。
地元の夏を何も感じないままこの日まで来た。
昨年に引き続いて、今年の夏もまた一生忘れないのだろうなと思う。


最近よく聴いているのはこれ。

君にとっていつでも出来ることは私にとっては今日しかできないこと

何処かにふらりと行きたくなる。
正しくは連れ去って欲しくなる。
後先考えずに、とにかく今この場所から居なくなれるなら何でもいい。
安心できる場所は段々と怖くなってしまうから。
守られることはあまり得意じゃない。
取り敢えずあちこちぶつかって、血だらけになって、手当てもろくにせずにここまで来たから。
急に包帯を巻かれたり、大丈夫だよって言われても理解が出来ないし居場所じゃない気がしてしまう。
自分から危険に近づくことが未だにやめられないでいる。
遠く、遠くに連れ去ってほしい。
そして、ポイっと投げ捨ててほしい。
なるべくもう身動きが取れないくらいにしておいてほしい。
多分、どこかで諦めたいのだと思う。
何を?わからない。
安心は気が狂いそうになる。
怖い。


いつもの川に行ったら猫がのっしのっしと斜面を上って居た。
草と草の間からジロリとこちらを睨むもんだから、そんなに見ないでくれよって多分これはお互いの台詞。


幾つになったら素直になれるんだろう。
幾つになったら弱さを受け入れられるようになるんだろう。
幾つになったらまともな顔で笑えるようになるんだろう。
幾つになったら居場所を作れるようになるんだろう。
幾つになったら安心出来るんだろう。


子供みたいにはしゃぎまわりたい。
擦りむいて笑って追いかけっこがしたい。
夜中の公園なんかがいい。
大声で笑って名前を呼びあって走り回りたい。
やっちゃダメだよって言われることはどうしてこんなにも魅力的でしたくなるんだろう。
それをしない一線はなんて頼りない理性なんだろう。
こんなもの、捨ててしまえたらいいのに。

女盛りだからこのままじゃ終われないの

ぼーっと川を眺める。
右から流れてくる風によって水面が波打つ。
音は聞こえない。
イヤホンから音楽が流れているから。
後ろを人が通っていくけれど気にしない。
対岸の家やマンションに人の命がある。
水は穏やかで良い。
こんこんと、そこを流れているから。
誰に何を言われるわけでもなくただひっそりと流れ続けてくれる。
足の指先からそのまま沈んでしまいたくなる。
思い出したのは真冬に川へ身投げをした近所のおばさんで。
そんなのとは全く関係なく頭の中では林檎さんが女盛りをどうしようって歌ってくれている。
本当に思えば遠くに来たもんだ。
川のように流され流され、流れ着いたような気がする。私の人生。

「坊ちゃんが少しでも真人間でよかった」って10年来の友人に言われて笑ってしまった。
私の刺々しい時期からを知っている人。
私のエネルギーを、知ってくれている人。
私を「坊ちゃん」と呼んでくれる愛しい人。
インターネットを通して出会った人の中で、一番愛も熱量も逞しく強い人かもしれない。
互いに丸くなったよね、って笑った。

今日はもう書けないな。
何だかドキドキが足りない気がする。
安心できる場所にいることが下手だ。
安心して穏やかに過ごすことが下手だ。
何か不穏に手を伸ばしたくなる。
そうして傷ついてやっと生きていると感じられる気がして。
歪んでいることがたくさん見つかる。