試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

女盛りだからこのままじゃ終われないの

ぼーっと川を眺める。
右から流れてくる風によって水面が波打つ。
音は聞こえない。
イヤホンから音楽が流れているから。
後ろを人が通っていくけれど気にしない。
対岸の家やマンションに人の命がある。
水は穏やかで良い。
こんこんと、そこを流れているから。
誰に何を言われるわけでもなくただひっそりと流れ続けてくれる。
足の指先からそのまま沈んでしまいたくなる。
思い出したのは真冬に川へ身投げをした近所のおばさんで。
そんなのとは全く関係なく頭の中では林檎さんが女盛りをどうしようって歌ってくれている。
本当に思えば遠くに来たもんだ。
川のように流され流され、流れ着いたような気がする。私の人生。

「坊ちゃんが少しでも真人間でよかった」って10年来の友人に言われて笑ってしまった。
私の刺々しい時期からを知っている人。
私のエネルギーを、知ってくれている人。
私を「坊ちゃん」と呼んでくれる愛しい人。
インターネットを通して出会った人の中で、一番愛も熱量も逞しく強い人かもしれない。
互いに丸くなったよね、って笑った。

今日はもう書けないな。
何だかドキドキが足りない気がする。
安心できる場所にいることが下手だ。
安心して穏やかに過ごすことが下手だ。
何か不穏に手を伸ばしたくなる。
そうして傷ついてやっと生きていると感じられる気がして。
歪んでいることがたくさん見つかる。

「一度も汚いなんて思ったことないよ」

台風の影響なのか茹だるような暑さが続いている。
そんなこんなな今日(日付変わって昨日ね)、物書きの友人が入籍した。とってもおめでたい日。

先週はご飯作りをサボることなく出来て、そのまま週末は病人の看護になったので気持ちが張り詰めて疲れてしまったようだ。
今日はやけに体が重い上にお腹は空いているのに口に食べ物を運ぶことが億劫で食べることに時間がかかってしまった。
平衡感覚もおかしくて、スーパーにやっとの事行ったのだけれど完全に体が斜めに傾いていて自分で笑ってしまった。
今日はいっそ休んでしまおうと思ったのだけれど、病み上がりで仕事に行った人もいるんだからと動いたのがまずかった。
それでもちゃんとご飯が作れて良かった。


タイトルは最近言われて一番嬉しかったこと。
私の体には傷跡が沢山ある。生きる選択をし続けてきた結果とはいえ、綺麗なものではない。
母親からは体をそんなに汚くして、と言われ続けてきたので、汚いよなぁと思っていた。
最近新しい靴を買ったのだけれど、それを履いて歩いていて、「帰ってから汚さないようにね」と言われた瞬間、私はすっかり体のことだと思ったので、「汚くしてごめんね」と謝ったら、信じられないという声色で「一度も汚いなんて思ったことないよ」と言われた。
脳内に電気が走るみたいに衝撃を受けてしまった。これを汚いと思わない人がいる…?というか、何故私は生きるために残してきたものを汚いと扱ってしまったんだ?といろんな感情が一気に駆け巡った。
私本当は汚いなんて言われて傷ついていたんだと気付いた日。
汚いよねって一緒に笑ってたけど苦しかったんだなって。
だから、その一言がとても嬉しかった。


「私って生きてていいのかな」って言葉を聞いた。
生きていたらダメな人なんて居ないだろうよ。
話しを聞いてくれてありがとうと言われたけれど、ピンとこない。むしろ、話してくれてありがとうだし。
私が出来ることは相手の言葉を聞いて受け止めてその言葉に対して感じたことを打ち返す事だけだ。決して代わりにはなれないし、痛みを受け持つこともできない。
私は思ったことしか言えない。けれどその言葉を聞いて何かしらを思ってくれたのだとしたら、その人自身の生命力が逞しいということだ。
凄いのは、あなた自身なんだよ。そう思う。


明日も異常に暑いらしい。皆様お体ご自愛を。

あまりに泥臭く愛を叫ぶものだから

なんとなーくサンボマスターを聴いていたら鳥肌が立ってどうしようもなく泣いてしまったスーパーへの歩き道。
これだから山口さんの声はずるいんだよって鼻をすすった。
なんでそんなにも恥ずかしげもなく報われるかもわからない愛を歌うの。
どうしてただ懸命に投げ続けて投げ続けて、僕はここにいるって言うの。
そんなの、泣いてしまうに決まってるじゃないか。
ライブ動画を見ていても何故だか決まって泣いてしまう。サンボマスターはダメだ。
この話は専門学校の相棒とも一致している。
互いに勧めあった訳でもないのに同じ動画を同じ時期に見て泣いていた。なんなんだ。
だから、サンボマスターを聴くとあの子を思い出す。私は今日も泣いたよ。やっぱり泣いたよ。


壊れているタブレットを、他人が拳でガツンと叩いた姿を見た数日前。
今日ふと私もやりたくなって左手にタブレットを持って思いっきり右手の拳で殴ってみた。
3〜4回。タブレットの画面は「なんともありません」って顔で綺麗にそこにあって、私の拳はみるみる内出血していった。
今も腫れている。
やっぱり勝てないんだなぁって思った。
拳を握ろうとすると痛い。
なんでそんなに澄まし顔でいるんだよって内心腹がたつ。
私がサイヤ人になれたらこんなもの一発で叩き割ってやるのに。へし折ってやるのに。
私は虚弱メンヘラなのでタブレットに少しの傷も与えられやしなかった。
残ったのは、右手拳の腫れ。負けました。


先日デパコスでお化粧をしてもらった。
人生初体験。
自分に似合う色を知りたいのに、「お顔立ちがはっきりされているので何色でも似合います」と言われてしまって、いやそうじゃない!とモヤモヤしてしまった。はっきり言え。
私は何色のシャドーが似合って何色のチークが似合うのかきちんと知りたかったのだ。
してもらったメイクは青で寒色。
寒色は顔が引き締まるからいい。
下瞼のアイラインから目尻に沿って猫目に伸ばすアイメイクをしてもらったらとても可愛かった。
上瞼の延長じゃなく、下瞼からの延長なのかと勉強にもなった。プロはすごい。


目に見えないものを信じるってさ、
限りなく難しくて泣きたくなるね。
見えるものしか信じられないから、いつまでも傷跡が絶えないのだろうし。
目にしないとわからないくらい、信用することが下手だ。
今日も生きたよ。

幸せなんて歩いてこないよ

「あっ」と言う間に8月になってしまいました。
私の地元は今日梅雨明けをしました。
書かない間にいろんなことがありました。
はじめましての出会いがたくさんあったり、高級魚のどぐろをみんなでつつきあったり、丸亀製麺でしょーもないほんねをつらつらと話したり、やっとのやっとこさ会いたい人の旅の終わりで会うことができたり。


その裏では戦争でした。
日々戦争。修羅。
あまりにも修羅すぎてふとぼんやりしていると「世界平和」とか願ってしまっていたのでやばかったんだと思います。
ジョンレノンもびっくりの世界平和への祈り。


醜態を晒しました。本当にどうしようもなく醜く、救いようがなく、同情の余地のない醜態を。
落ちるところまで落ちたなと思います。
底が見えたら、蹴り上がるだけです。
私はまだ諦めたくないので蹴り上げます。
ここで、醜態を晒して生きられるほど開き直れていないので蹴り上がります。
はなまるな笑顔を見せていたいので高く高く。


もしも、もしも努力が報われるのなら、頼むよ。
私ね、本当にがんばり続けたんだ。
お前が勝手に頑張ったことだろって言われたらそれまでなんだけどさ。
体ボロボロにしながらも諦めなかったものがあるんだよ。
報いをちょうだいよ。
頑張って頑張ってもう無理ってところに更に爆撃食らってさ。もう息ができないと思ったけど私欲張りだから諦められないんだ。
手放した方が幸せになるのかなって時折思うよ。
けど、進めるところまで進みたいんだ。
だって、進みたくても進めなかった日々があるから。


体は器。
体はおまけ。
死ぬまでに酷使するもの。
この考え方も改めなきゃいけないね。
大事にするってどこからなんだろう。

愛の強さゆえ 優しき獣ゆえ

恥ずかしい話、私は今日まで魚を焼いたことがなかった。
IHではある。が、普通のコンロの魚焼きグリルを使ったことがなかった。
スーパーの初老のおじさんがホッケを売っていて、ああホッケだと手に取った。
冷凍されていたので袋に閉まって水で解凍した。
グリルを開けたり閉めたり忙しなく焼き加減をチェックした。しつこいほどに。
おかげで人生初体験ははなまる。
脂のしっかりのった美味しいホッケでした。

日付は変わってしまったけど、朝から大きな訃報を聞いてぼんやりとした。
今年リリースされたアルバムの彼の歌声は切ないほどに綺麗で、今までにないアルバムだなぁ、美しいなぁと聴いていた。
けれどもうこの歌声が響き渡ることはない。
彼の歌声は十代の私が叫びたいときに代わりに叫んでくれた。
専門学校に意識朦朧で行っていた時もイヤホン越しに彼の歌声は流れていた。
当たり前にあったものがなくなってしまったらしい。けれどどうにもまだ事実として受け止めきれない。
彼に一つだけ問うことが出来るなら、「楽になれた?」とそれだけ問いたい。

今日は驚くほどに体が動かなくて、それでも生活は容赦なく時間を運んでくるからただただ頭の中を無にして動いた。
寝ても寝ても眠い。地球の引力がいつもの倍のように感じられて重い。
体がもう少し強く逞しくなるといいのだが、もう少し時間がかかりそうだ。
今週は吐いたり動けなくなったり免疫力低下で病気になったりと色々と限界を感じる。


ブログ越しにお手紙をもらった。
いつもいつも何かと私を気にかけてくれる大切な友人だ。
昨日の夜、YUKIのプリズムのリンクがLINEで飛んできてすごく嬉しくなった。
彼女の曲の中で一番好きだから。
ブログには、私が幸せになるといいなと書かれていた。
そっくりそのまま、友人に返したい。
友人が心の底から伸びやかに生きられる場所で生きていけたらいいと思う。
私達は同じ障害を持ったなんだかおかしな関係だ。
けれど、それのなんと心強いことか。
お互い図太くなろう。幸せに臆することなく生きられたらいいね。

目の前に差し出された愛情と優しさをうまく掴めない。
本当は何よりも掴みたくて信じたくて仕方がないのに。
強がることなく、素直な気持ちがどこかしっかりと見定めながら、後悔なく歩みたい。

眠って起きたら沢山の人に会う。
ドキドキしている。大丈夫、大丈夫と念じながら眠る。

あなたもあなたもあなたも一つの人生があるのね。

更新していないブログのPVが100突破とか何事ですか、と思いながらこちらのブログを更新します。

三連休が終わりました。
体力と免疫力がガタ落ちしているようです。
食欲は戻りつつあります。こんなに夏に弱かったかな。おかしいな。
自分は体だけは丈夫だと思っていて。
でもそれもどうやら少し違うぞと最近自覚しました。私は虚弱の部類に入るのだなと。
何故体が丈夫だと思い込んでいたのか。
それは、無理がきく(実際はきいてなかった)体だと信じて疑わなかったからですね。
しかし実際は免疫力が下がって何かしら病気にはなるし、不正出血は起こすし、食べられなくなるし何が丈夫だよって話でした。
ただ、鈍感なだけでしたという話です。

環境が変わった夜というのは少し過敏気味になるのかなかなか眠りにつけないですね。
日本という国は驚くほどに平和だなと思います。
私がどこに行っても生きていられる国というのは凄いと思います。
今日ふと思ったのですが、私は自然淘汰されて然るべき生き物なのだろうなと。
それがこの歳まで生きてるのだから驚きですね。
「貴女は危機感が足りない」とたくさん言われました。
確かに私はあまり危機という意識を持っていないかもしれません。
危機と意識するラインが違うのかもしれません。
よほどの不穏でも起きないと私は危機とは感じられないのかもしれません。
(これが、認知の、歪み????)

どこに誰といても孤独感というのは常にあって。それは拭いようがなくて。
いつからかそれに抗うのはやめました。
きっとこいつとは一生の付き合いになるだろうと確信しています。
孤独感がつきまとっていても人付き合いは人並みに出来るし、もういいのです。
今あるものを大事に生きていたいです。
孤独感があろうと世界は広げて生きたいし新たな面白い人に出会いたいし欲は尽きないです。
昨年の夏を経て、私は一回り図太くなりました。

本格的な夏みたいな日々ですね。
生きましょう。
昨年の7月の日記にこんな一文がありました。
「こんなに痛い7月は2度と経験したくない」と。
今年の7月は体調は最悪だけど悪くないです。
やったね、ピース。

安堵の涙

今日は何だか胸がいっぱいで、これはなんだろうと昼間からぐるぐるしていた。
夜になって涙が溢れてきた。
数日前に唐突にリンクだけ送られてきたApple Musicのあるアーティストの曲の三曲目を聴いて、ぽろぽろと涙が溢れてきて。
何かあったの?と聞かれたけど何も無い。
本当に何もなかった。
音楽というのはとてもストレートに胸に飛び込んできて、じわじわと広がっていくから下手な薬よりも心をほぐすことがある。

今日は恋愛の話をちらほら目にした。
私は恋愛というものがよくわからない。
ただ確かなことは、「好き」という真っ直ぐな気持ちだけだ。
好きな人が笑えば嬉しい、好きな人が辛ければ苦しい、好きな人が悩んでいたら共に悩みたい、好きな人に余裕がなければ私が余裕を持って笑っていたい等。
恋愛ってなんだろう?と思う。
ただ、私は素直に好きな人には好きと伝え続けたい。それだけだ。

今日は胸がいっぱいになって、涙が溢れた所がクライマックスだったなと思う。


同じ障害を持っている友人がとても辛そうだ。
死んだように生きていると言っていて、私も今そんな感じだよとLINEをした。
ねえさんが辛い時に生きてって言ってごめんねって気持ちに今日なりました。と教えてくれて、ああ、いっぱいいっぱいなんだね、と素直に伝わってきた。
あれだけロープを買おうか悩んで立ち尽くした日々があって、アルコールに頼った日々があったけれど私は未だにのうのうと生きている。
現実はそんなもんだ。
しぶとく日々生き残っている。
体重も戻った。アルコールはもう毎日飲んでいない。
あの子が明日、職場に行けたらいいなと思う。