試し書きだらけのノート

日々のあれこれ。

うるせぇよ、ばかやろう

「ここは病院だから必要な人が来る場所、病院依存になられても困るんだよ。治療は卒業の方向にシフトして然るべきです」
さあこれは誰の言葉でしょうか?
正解は勿論主治医です!
私が誕生日前日に希死念慮にあまりに呼吸が浅くなって行ったときのことです。
そして私は普段ならばあまり行きません(診察代勿体無いし)。
主治医は過去にこう言っています。
「まずいと思ったらいつでも駆け込んでおいで」と。
そのまずいがきたからこそ駆け込んだのだけれどあれれ???状態です。
いや、治療は勿論卒業を目指すよ。当たり前だろう。普通に酒飲みたいもんよ。
結局、自分を守ってくれるのは何処までも自分だということなのだろうなと思ったのでした。

田舎は病院ガチャが出来るほど病院がないのがしんどいところです。
しかしさすがに今回の件は穏やかな私でもムムっ?となったので、次回看護師さんに相談致します。
看護師さんとの方が余程信頼関係を築いているかもしれない。

さて、迎えてしまいました。
0時ぴったりに電話をくれていた相棒がいました。(専門学校時代の相棒)
友人が2人泊まりに来てる中で私にビデオ通話をかけてくれた友人がいました。
起きたらLINEが溜まってました。
そんな今日は私の大好きな場所二箇所へ思い切って車を走らせました。
自然の中と温泉。
大好きな池は初めての顔を見せてくれました。
まだ太陽が昇りきっていないために緑が反射する前のありのままの池の姿を見せてくれました。
とても美しく透き通っていました。ここにくるの、今月2回目。
温泉は休業日だったのですが、親父さんが「どーぞどーぞ」と入れてくれました。貸切!
ここのお風呂は湯の花がすごいのです。そしてスベスベになります。
ただし、民家から綺麗に見えるっちゃ見えるのでそういうのを気にしない人向けです。
私は人生で一番大好きな温泉が今の所ここです。

帰ってきて、手紙を書いた今、じわじわと肩こりに気付いて、発熱を観測しました。
弱っちいなあ。
ドーピングしたんだけどあまり効かなかったなぁ。

そんなこんなで、私はまた一つ扉をあけてしまいました。
世の中は不思議です。私自身はあまり変わっていかないのに、数字がどんどん増えて周りの見る目がそれによって変化していきます。
あまり、私を、決めつけないで。
(幾つだろうと私は私だよ)

そんなこんなで、暑かったですね。
みなさまお身体お大事に。

初夏ってどうしてこんなにも儚いんだろうね

youtu.be

 

夏になると無性に聴きたくなるのがキラーチューンとこれ。

百鬼夜行のDVDが出るそうですね。

長く短い祭がリリースされた時にすごい衝撃を受けました。

おっとこれは凄い格好いい曲がリリースされたぞ、と。

それと共に出た「神様、仏様」は出てくる人々が豪華すぎてわああああ!と

なりました。私の脳内は単純。

 

私の憧れの人は昔から一貫して「永作博美」さんです。

多分、自分には無いものの塊だからだと思います。

私はあんな風に穏やかに微笑めないし、柔らかな雰囲気を纏えないし。

と考えていると本当に無い物ねだりなんだなぁと痛感します。

永作博美さんに対しての憧れは小学生の時からぶれることなく現在まで来ています。

これ凄い年月をこの人に対して抱いているってことですよね。

凄いなぁ。そういう意味でも好きです。

人のセックスを笑うなは最高なので是非皆様みてください。

永作博美の持つものを私は何一つ持たないまま結局大人になってしまったよ。

悲しいね。

 

ほうれい線が気になる。

頬のたるみが若干気になる。

メイクが乗らない日が悲しくなる。

こうして老いていくのだろう。

けれどいろんなものに対して鈍感になる。

そうすることで気持ちが楽になっていく。

私が抱え込んでいたあれこれがどうでもよくなっていく。

それは外見が変わる以上に大事な事な気がする。

そりゃあ外見だって綺麗なままでいたいけどその努力を私はしていないので致し方ない。

だから、老いていけばいい。ゆるりゆるりと。

綺麗なうちに終わりたいという願望だけは捨てられないまま今日も生き延びている。

生きるって義務じゃないのにどうして

私の大嫌いな日が日々近づいて来ます。
希死念慮がどんどん強くなっています。
怖いので私はあるツイッターアカウントでAmazonほしい物リストを公開しました。
何がしたかったのか正直わかりません。
ただ、誰かとその日の呪いのような感覚を共有したかったんだと思います。
薄まれ、薄まれ、と念じたのだと思います。

正直に話すと、何も届かなくていいと思っていました。
むしろ、私はそのアカウントのフォロワーさんに何かしているわけではありません。
何が出来ているわけでもない、ただ同じ時間軸を共有しているだけのただのボンクラです。
しかし、公開した数日後にはナトリウム摂取を大事にしてくださいね、とレモンの塩漬けが届きました。
また別の日には私が悩みに悩んで欲しいものって何だ?と思った先に無くなりそうになっていたアイシャドウを登録していたのですがそれが届きました。
生まれて初めて自分の手元に香水が届きました。ミネラル麦茶と350缶のビールが届きました。
先述の友人は誕生日プレゼントだよと柑橘系のミストをくれました。

正直、どんな顔をしたらいいのか全くわかりません。嬉しいのです、嬉しいのですが、この日の私のやり場のない思いに付き合わせている気がして申し訳ない気持ちが多々あります。
ただ、ここまできたら、私は今年一年をちゃんと生き延びることだけなので生き延びます。
届いた品々は契約です。私が生き延びる契約です。
一つでも届いた瞬間から契約が結ばれました。
私は生きようと思います。
そして、会ったことも無い私に、数々の品々を本当にありがとうございます。
大切に使わせて頂きます。
生きにくい私と時間軸を共に歩んでくださっている事に心から感謝します。

当たり前のように隣にいるもんだから

関東から友人が二泊三日で遊びに来てくれました。こんなにもなにもないところに。
初めましてでもあったんですが、互いに対面して目が合った瞬間に何だか良い意味で変に力が抜けていて、「はじめましてじゃないみたいだね」と口にしていました。

「とりあえず、飲むか」と昼間っからスーパーでお酒を買い込み、翌日のお昼の材料を買って我が家へ。
なんだか、本当に不思議でした。彼女がこの地にいることには激しく違和感を感じるのに、共にいることには何の違和感もないのです。
あれ?何してるんだっけ?初めましてで合ってるんだよな?と何度も運転しながら頭の中で考えました。

お酒を飲み、共通の友人と通話し、夕食を食べ、風呂に入り、互いに身体のマッサージをし合い、就寝。
何でしょう、この、何とも言えないほどに当たり前の日常のような平和は。
字に起こしてもやっぱり不思議です。

2日目は急遽県内の共通の友人と3人で遊ぶことになりましたので、電車移動をしました。
その前にお昼ご飯を作ってもらいました。これはお願いをしていたことです。
水菜のペペロンチーノ風うどんと水菜のサラダを作ってもらいました。最高に美味しかったです。有難う。
そして電車移動をしながら彼女はこの車窓の向こうに流れる景色に何を思っているんだろうとふと思いました。関東に生まれ育って関東で生きている人です。
何もない田舎を見て何を思っているんだろうと思いました。けれど何故か聞けずにあっという間に待ち合わせ場所へ。

3人で会うのは初めてだったのですが、これまた不思議なことにすんなりと集まれてしまったというしかないです。
あ、どうも、ああどもども!みたいな長年の知り合いみたいな空気は何なんだろうか。
居酒屋に入り、会話をしていてもそれぞれ聞き役に回ることが多い人間が集まってしまったのでまあ穏やかな沈黙もあります。しかしそれが居心地の悪い沈黙ではなく、共にいることを完全に楽しんでいる沈黙でした。
それからカラオケに行き、ケラケラと笑いあい、終電でさようなら。
帰って来てからは友人が取ろうとしている資格の勉強を少しだけしました。
私が教えることは何もないくらい彼女は勉強の進め方が上手かったです。
そしておやすみ。

3日目は私の体力の限界が近づいて来ていて、だいぶ彼女を1人にさせました。寝てました。
お腹が空いたと起こしてくれたのでお昼を食べ、前日に会話に出たまどマギ一気視聴をやりました。最終話残り10分というところで時間が来て、彼女をお見送りに。
何故かついてくる両親たちに首を傾げながらバスを待つ車内はなかなかカオスでした。
またおいで、いってらっしゃいと見送りました。
この家は今回をもって数時間離れた彼女の第二の実家としました。たまに帰って来てください。
そして私も遊びに行かねばなりませんね。体力をつけなければなりません。

そんなこんなで、私の月曜日から水曜日が終わりました。

世の中どんどん便利になって怖い

私が初めて自分の言葉で自分の感情を書きなぐったのは14歳の時だった。
その頃は個人ホームページ全盛期で、いろんな人が様々なサイトを開いていて、私は今でも影響を受けているサイトに二つ出会った。
一つは日記のように書かれているようでエッセイのようなとても言葉の美しいサイトだった。
もう一つは毎日一編詩が更新される独特なサイトだった。
私はWindowsのメモ帳に思いついたことをあれこれ書いていて、感化された言葉たちもたくさんあった。
あれから10年以上も経つのにまだ私は言葉の世界から離れられないでいる。
一時期はウェブ文芸誌でエッセイを書いた。
物書き界隈の人や読んでくれていた人は戻っておいでと言ってくれるけれど今の力ではとても思えない。
最近、友人が荒削りな詩を日記に掲載していて素敵だなと思った。
久々に創作の世界に戻りたい気持ちにもなった。
10年以上も経つのに私はまだ文字に縋っている。ここだけは私の世界。
ここだけは私が私を守れる世界だから。
読んでくださっている人には本当に感謝しかない。
こんなにも纏まりがなく、オチもなく、どうしようもない日記を書くことしかできなくなった私の言葉を読んでくれていることがとても嬉しい。
読者がいるというだけで書き手は強くなれる。

睡眠アプリというものを入れてみた。
入眠までにどれくらいかかっているか、中途覚醒は何回か、深い眠りについているのはどの時間帯か、寝言はどんなことを言っているか録音してくれる無料にしては万能なアプリだ。
どうやら今の私は調子がいいと1時間くらいで眠りについて、深い眠りは3時間ほどらしい。
あとは朝方に向けて中途覚醒早朝覚醒が増える。
なるほどな、と思いながら通院で使えるなと思ったので使っていこうと思う。
やはり医師に伝えるにしてもデータがあるだけで違うだろうなと思う。
私の主治医がアプリの見方をきちんと理解できるかどうかが問題だけれど。まあそれは説明すればいいのです。おじいちゃんだから。

すごくレベルの低いことを言いますが私にとっては奇跡的なことなので書きます。
今日はきちんと三食食べられました。
なのでナトリウムはとらない方向でお茶を飲みました。

私は今どこまでいってもエネルギーが枯渇しているのよなと痛感している日々です。
毎日働けている人や時短勤務でも働けている人を心から尊敬します。
ただ、心も体も守れるのは自分しかいないので自分が自分の一番の味方になっていたらいいと思います。
私は今そんな日々を目指しています。

明日は病院。さあ、なんの話をしようか。
まずはアプリを見せようね。
おじいちゃん、ついてこられるかな?

自爆スイッチ

私には自爆スイッチがある。
眠らずに無理をし続けると起動する。
意識を失い、呼吸が止まる。痙攣を起こす。
癲癇だ。
私はこれを自爆スイッチと呼んでいる。
私は無理をするのが嫌いじゃない。
むしろどちらかというと好きだ。
ギリギリまで、寧ろ倒れこむまで何かしらをしていたい。
もう十分頑張ったよって自分に言い聞かせるにはそこまで行かないと納得ができないからだ。
しかし、このスイッチを持ってから私は私の納得する「頑張った」を得られていない。
私の頑張ったは、発作で気を失うまでだから。
これぞ、治さなければならないところなのです。

私の日記に優しい言葉をいただきました。
「眠れなくてもいいんだよ」というとても温かい言葉でした。
1日を人よりも長く生きたということじゃないですか、と綴られていた。
私のブログを読んでくださっていることだけでも嬉しいのに、言葉をいただいたことがとても嬉しく何度も読み返した。
今夜も私は薬を入れたところで眠気が全く来ません。
けど、いいね、それでもね。
そんな日もあるね。そんな日が続くと起爆スイッチが発動するから気をつけなければならないけれど、無理に眠ろうとしなくていいね。


またも海に行ってきました。
山間部に住んでいるので海は好きです。
何度見てもワクワクするし、風に当たるとたまらなく解放感があります。
波の音が優しくて眠くなりました。
海はやっぱりいいなぁ。

此の所調子がずれています。
心の均衡がうまく取れません。
理由はわかっているので時間が経つのを待つしかないのですが、どうにもならんのです。
調子が狂うことは少し困りますね。
此の所穏やかにやってこれていたんだけどな。
なんとかしていこうね。
それしか出来ないから。

私が生きているのは「あっち」

「君の日記はだいぶ好きだよ」と言ってくれる人がいたのでせめて日記くらいは習慣化したいなと少しだけ思った。

今日は病院に駆け込んだ。
何故なら1日分の処方量の眠剤では私はもう眠れなくなってしまっているから。
季節が暖かくなってきて気分も昂まっているのだろうけれど、過覚醒や過敏もまた強くなっている季節なのだ。
主治医は開口一番に「塩分とってますか?」と聞いてきたので火曜日の通院が酷く恥ずかしかった。
はい。食事でとってます。
私の不眠症はとても頑固だ。
運動が足りてないんじゃないの?とか、いろんなことを言われたりしてきた。
だから運動をしたりもしてきた。それでも私は眠りに落ちない。
どれだけ体が疲れていようが頭の中はすっきりとして仕方がない。
だから、強制的にシャットダウンするしかない。
私は連続性の不眠で癲癇を起こしている人間なので、本当に不眠症はたちが悪い。
先生もいよいよという感じで処方を変えてきた。
私はこの薬で眠れるのか勝負をする。
眠れたらいいなぁ。私の体は何に怯えているんだろうね。
もう何も怯えることはないのにね。

私にはまず現実の世界の友人たちがいて、お世話になっている人達がいて。
その人たちをまず心から大切にしたいと思う。
ネットは暇潰しだ。
現実世界で関わってくれている人が私を知ってくれていればもうそれでいいな、とふと思った。
事実私のツイートはだいぶ激減した。
それは、もうそこに執着も知ってほしいという欲もあまり無いからだ。
最近フォローをしてきた人たちは、この大きくなりつつあるコンテンツの人として私をフォローしているんであって、私を知りたいわけでは無いだろう。
だったら、私は私自身を知りたいと言ってくれている人達を大切にしようと思う。
お手紙を書いたり、会って遊んだり、そんな日常を大切にしたいと思う。
生きる世界は現実だ。
だからこそ、1日1日をきちんと終えたい。
その日出来る限りの事をしておきたい。
私の今日出来る限りの事は不眠症との戦いを主治医と話すことでした。

梅雨入りが近いと聞くとぞわぞわする。
私は雨が大嫌いだ。あの不規則なぼつぼつとした音を聞いているとたまらなくそわそわしてしまうし、夜に降っていると眠れなくなる。
私の一番大好きな季節が終わろうとしていることがさみしい。
私は初夏の今が一番好き。
緑がまだ柔らかい色をしているから。
暑すぎないし寒すぎないから。
自分の誕生日は嫌いなのに、生まれた季節が好きというのはおかしいね。

自然と眠りにつくってどんな感覚だったか思い出せる日がきたらいい。